高須街道
昨年の10月末に海津市のイベントを観覧したあと、高須街道を少し散策してから駅方向に歩いているときに、餃子のような形の道標を見つけた。
本日、Googleマップでこの道標の場所を見てみると、なんと「道標」とアイコンが付けられているではないかw。
誰かが登録したのかなぁ?
ただ、アイコンをクリックしたときに左ペインに表示される各種ページへのリンクは間違っていて、「ウェブ検索結果」の一覧に今尾渡し道標の検索結果が出るのだ。もちろん今尾渡し道標は別物なので、これは要注意だ。
天気予報では日曜日は午前中は曇りで、昼ごろから雨が降りそうだ。
この日は西濃地方の某所で昼前から夕方前までフリーの野外ライブがあって、それを見に行くのに合わせて、高須街道を歩こうと考えている。
高須街道ぐらいの距離であれば、朝に出発して昼前にはゴールできるし。雨が降るまでに逃げ切ることはできるだろう。
で、高須街道のゴール近くにある博物館が、少し前にだいぶ変わったので、そちらのほうに初来館する予定である。
昼メシはお千代保稲荷で昼飲みかなww。
土曜日に海津市役所でのイベントの帰りに道標を見つけたことを、昨日のエントリーで書いた。本エントリーはこれについての詳細になる。
まず、当日の海津市役所から駒野へ歩いたときのGPSログと、道標の位置を示したのがこれ↓。
次に、高須街道と高須城の写真を。
高須城跡は公園になっていてトイレも設置されている。
城の案内板によると、高須城は1522年の築城とのこと。
関ケ原の戦い以後、高須藩は尾張藩の支藩だったとのことで、そういえば高須街道は高須城と名古屋城を行き来するために整備された街道だった。
で、城からさらに西に数百メートルのところ、上の地図画像で言うところの赤い印の場所に、例の道標はある。
↓の画像の左側には地蔵寺があって、そちらに目が行きがちなのだが、まっすぐ奥に行く道と右に行く道の交差点に目を向けると、石の道標が。
うーん・・・。下の方が地面に陥没してしまっていて見えない。右は「右 今」しか読めない。この方向に今尾という地名があるので、たぶん「右 今尾」だろう。(注記:表記を間違えていたので10月31日に訂正しました)。
左も同じく埋もれてしまっている。「左」の字の下はおそらく「古」の変体仮名で、その下は「ま」のようにみえる。左にある「こま」から始まる地名と言えば、この日自分が行こうとしている駒野がちょうどその方向にある。というわけで、おそらく「左 古まの」だろう。
以下、別角度から撮影したものを2枚ほど。
↑餃子みたいな形やwww。
ついでだから、googleのストリートビューを貼っておく。


























