北国脇往還

今日、北国街道木之本宿をGoogleストリートビューで見ていたのだが、、、2023年6月の時点の写真に、あの道標が無い。

あの道標というのは、北国街道から北国脇往還が分岐する場所にある道標である。自分が2023年2月(つまり上のストビューの写真が撮影された5ヶ月ほど前)に北国脇往還を歩いたとき、道標の周辺で工事が実施されていて、道標はおろか後ろにある建物ともども無くなっていた。そのときの写真がこれだ。

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道標があったときに撮影したのがこれ。2019年11月中旬に北国街道を鳥居本の中山道分岐点から木之本まで歩いたときに撮影した写真だ。

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工事中の写真を見ると、工事の工期は令和5年(つまり2023年)3月20日までと書いてある。上のストビューの6月時点の写真では工事が完了しているわけだが、それでも、道標は無くなったままもとの場所に戻っていない。

うーん、どういうこっちゃ。ちょっと現場検証に行かなければならんなぁ。



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滋賀遠征と北国脇往還

22:45:06
カテゴリ:アイドル | 道標

こないだの土曜日は、自分が注目している西濃地域のご当地アイドルグループが滋賀県で開催されるイベントに出場するということで、行ってきた。

そのイベントの名前は「アイドル姉川の戦い」である。昨年も開催されたと記憶しているが、面白いネーミングじゃないかw。

「姉川の戦い」とは、織田・徳川連合軍 VS 浅井・朝倉連合軍との合戦であるが、合戦のたった数ヶ月前まで、織田家と浅井家は同盟関係だった。信長の妹である市と浅井家当主である浅井長政の婚姻関係によるものである。しかし、信長は越前の朝倉家への侵攻を開始し、これにより朝倉家と同盟関係にあった浅井長政は織田と朝倉との板挟み状態になるわけだが、ここは祖父の代から同盟を結んでいた朝倉との関係を選択し、金ケ崎で信長軍を背後から襲う。

危機を察知した信長は京都に引き返し、本国である岐阜に帰還するのだが、街道ブログ的なことを言えば、信長が岐阜へ帰還するために通った道が「千種街道」である。道中、信長は杉谷善住坊というスナイパーに狙撃されたりするんですけどねw。

で、姉川の戦いは、この一連の出来事に対する信長から浅井・朝倉への報復戦のようなものだと自分は理解している。

長浜市内の博物館に行くとこの戦いについて詳しく解説した資料がある。自分は毎年、長浜に行っている。今年はまだだけど、秋ごろには行きたい。

まあ信長の側からすれば妹を嫁に出しているにもかかわらず長政が裏切ったということになるし、長政の側からすれば同盟国を攻めた信長は裏切り者となるわけで、戦というのはどちらの視点に立つかで味方がガラッと変わってくるし、どちらが正しいなどと第三者が軽々に判断できるものではない。

話をアイドルイベントに戻そう。

朝、名古屋おでかけきっぷを買ってJRに乗り、朝メシは立ち食い、そして昼メシは大垣駅ちかくで食う。

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大垣駅から米原方面の電車に乗り、近江長岡駅で降りて、しばらくして出発するバスで現場近くまで行く予定だった。しかし自分はまた馬鹿やらかした。大垣駅から、真逆の豊橋方面の電車に乗ってしまったのだった・・・。西岐阜で気づいて慌てて電車を降りたら、すぐに米原方面の電車がやってきたので、そちらに乗る。フリーきっぷを持っているのでこの部分は精算不要で。

これでは近江長岡駅からのバスには間に合いそうにない。ならば、と、駅から現場まで歩こうと思ったのだが、ちょっと間に合うか微妙なところである。自分は街道歩きのプロ(笑)なので、距離から時間、また逆に時間から距離に換算する感覚を持ち合わせている。それによると、めちゃくそ速歩きしてライブまでにギリ間に合うかどうかといったところだ。そもそも、この暑い中でめちゃくそ速歩きなど御免被りたいし、初めて行く現場なので早めに着いて場所を確認しておきたい。それで、近江長岡駅から旧道っぽいところまではタクシーで移動し、旧道っぽい道からは徒歩で移動することにした。

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伊吹山が間近に迫る。

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良い時間帯に現場に到着した。

ライブは2本あり、1本目と2本目の間に少し時間がある。そこで、その時間、現場近くを散策していたのだが・・・けっこう時間があったので、思い切って北国脇往還を少し歩くことにした。この会場は北国脇往還に接しているので。

ここを歩くのは3度目だ。

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長浜街道との分岐点にある道標まで歩いて、そこからは引き返すことにした。

引き返すにしても、ちょっと時間があったので、途中の酒屋の自販機でエネルギー補給を。

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エネルギーを注入し、現場に戻って2度目のライブを観覧した。芝生の上をトンボが飛んでいる中でのライブ。この現場はyoutubeで何度も見ているが、この日、初めて来た。ようやく来たかぁ、という思いだった。

観覧中に日焼け止めを塗り直したら、日焼け止めがなくなってしまったw。

ライブ終了後、数分後にバスが発車するので、すぐにバス停に向かい、近江長岡駅行きのバスに乗った。

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近江長岡駅に着いたら、次の電車までに時間があったので、駅ちかくを散策。長岡神社ではセミの大合唱。みーーんみんみんみんみんみんみんみーーー。いいねぇ。

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豊橋方面への電車に乗り込み、大垣駅で下車。いつもの夕方の早メシです。

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北国脇往還から望む伊吹山

21:55:32

2月中旬に北国脇往還を歩いた時に撮影。

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北国脇往還と長浜街道の分岐点の道標

21:14:40
カテゴリ:追分、分岐、合流 

今週末に北国脇往還を歩くと昨日のエントリーに書いた。

前回歩いたときの写真を見ていたら、いろいろと道標の写真が出てきた。その中から、これ。長浜街道との分岐点にある道標だ。

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今週末は長浜へ

21:53:12

土曜日に、やっと、北国脇往還のリベンジを果たす。

前回、北国脇往還を歩いたのは2019年1月19日だ。初めて歩く道だったのでいろいろ道を間違えたりなどして時間をロスしてしまったおかげで、制限時間内に木之本にたどり着くことが出来なかった。

ちなみになぜ制限時間があるかと言うと、当時はコロナ前だったので街道旅行に行ったあとにキャバクラに行くことが多かった。で、そのときの北国脇往還の旅は日帰りだったので、帰りの大垣でキャバクラに寄るわけだが、移動と夜メシの時間を差っ引くと、そこそこ早い時間帯に木之本にゴールしていなければならないわけで。当時の写真を見ると、17時55分には歩きを止めて高月駅ちかくでGPSの表示を撮影していた。

今はコロナのおかげでキャバクラはいかなくなったのだが、夜メシは感染対策のために人の居ない時間帯に食べたいので、それこそ16時とか17時ごろにお店に入るようにしている。コロナ以後、制限時間はより厳しくなった。朝遅く出発した挙げ句にゴール地点まで距離が長いと、制限時間をオーバーしてしまう。こういうときはもう、メシ優先で、途中でリタイアするようにしている。

北国脇往還の距離は先ほど入力したGPSデータだと34キロほどなので、まあ余裕をもって制限時間内にゴールできるだろう。



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北国脇往還リベンジ

23:10:25

2019年の1月に北国脇往還を歩いたがいろいろと失敗して、ゴールの木之本には行かずに高月で終了した。あのときのことはよく覚えている。

その後、2019年の11月に北国街道(北国上街道)の鳥居本~木之本を歩いたが、北国街道はその後の越前への道はその年はクマの出没がひどくてそれっきり。

さらに、その年の12月に北国脇往還のリベンジを果たしたいと、エントリー:北国脇往還のリベンジへに書いた。

今週末、宿が取れれば、北国脇往還の4年越しのリベンジを果たす予定である。それまでに、『北国街道と脇往還』の地図からGPXファイルを作っておかないと。



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北国脇往還のリベンジへ

23:43:38

2019年1月19日に北国脇往還を歩いたが、さんざん道に迷ったおかげで、タイムリミットまでにゴールの木之本に着けず、高月ちかくで諦めてJRで帰ったことがある。

道中、街道からはやや離れるが、冬限定で猪鍋を出している店があるので、冬の間にリベンジを果たしたいところだ。

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(追記)記事カテゴリに新たに「北国街道」を追加した。これまでの北国街道関連のエントリも同カテゴリに登録する。



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