道標
竹鼻街道の道標シリーズ第3弾はこれ。小さな道標と、すぐそばにある石仏道標です。
↓この奥のカーブにさしかるところの道の右側にそれらはある。
読みづらいが、おそらく「右 たけヶはな道」かな?
となりには石仏がある。
ちょっと失礼して、隙間から覗いてみた。
ほとんど隠れてるけど、右 竹はな道で、左 大がき道 じゃないかなぁ。予想で。竹はなの「は」は「者」の崩しかと。
竹鼻街道はけっこう道標があって、今回のテーマもそのひとつなのだが、理由あって画像を掲載できない。
書かれているのは「右 大垣」「左 竹ヶ鼻」だ。竹ヶ鼻の「ヶ」はひょっとしたら書いてないかもしれない。
そしてこの道標の向かいには石仏があって、道標を兼ねてある。
その石仏に書いてあるのは「左 竹がはな道」「右 大がき道」だ。
竹がはな道の「道」は見えなくて表記があるのかどうなのかわからないが、大がき道のほうの「道」は表記が見えるので、おそらく竹がはな「道」なのだろうと推測している。
2月下旬に安八~大垣を歩いた。
竹鼻街道を歩いたわけだが、竹鼻街道に合流する直前に道標を発見する収穫があった。
さてその後、竹鼻街道に入り、川越えを行って常夜灯のところまでやってきた。自分は2021年1月に竹鼻街道を歩いているので、この常夜灯の存在は知っているし見覚えもある。
ところがここでも思わぬ収穫があった。左の祠と右の常夜灯の間に、四角い道標があるではないか。
「左 大がきみち」「右 竹ヶはな道」。なるほど竹鼻街道というのは大垣と竹鼻を結ぶ道なわけで。
それはそうと不可解なことがあって、この道標の存在が自分の記憶になくて・・・。2021年はもう5年以上前のことだから忘れてしまったのか。それとも道標の存在を見落としてしまっていたのか。
気になったので当時の写真を調べてみたら、やはり常夜灯の遠景を撮影しただけで道標のアップは撮影していない。ああ、これは見落としか。
と思ったのだが、よくよく写真を見てみると、なんか道標が無いようにも見える。

うん。こりゃ、無い。うんこりゃ無い。
ちなみにこの2021年の写真は、当時メインで使っていたニコンのD300で撮影したものだが、この約2か月後にD300が壊れてしまったので、D7500を購入した。今はこのD7500をメインに使っている。
先日、海津市と輪之内町のイベントに行った際、移動でバスを使うといろいろと都合が悪かったので、歩いてみることにした。開始地点は海津市役所の近くの「木曽三川輪中ミュージアム わじゅ~む」で、終了地点は輪之内町役場の近辺だ。市役所から町役場ってことで。
こういう歩いたことのない土地を歩く場合にはなるべく古そうな道を地図で探して歩いているのだが、その方針がまたもや功を奏したようで、途中、けっこう立派な道標を見つけた。
↓ガードレールの奥に柱っぽいのが見える。
あー、こりゃ道標だー!
「左大垣道」とある。
側面には何も書かれていなさそうだ。
背面もこんな様子で何も書かれていなさそう。
正面をもう少し寄って撮影。けっこう状態が良いから、新しいものなのかなぁ。
通り過ぎた後に、振り返って撮影。
さてGPSログがこれだ。青線が自分が歩いたコース(の一部)で、赤いウェイポイントが道標の位置である。
ここを左に曲がるということは県道228号線に入るということになると思うが、これをずーっと北上していっても大垣駅のあたりにはたどり着かず、ずっと揖斐川と長良川の間を通っている。大垣に行くには揖斐川を渡る必要があると思うのだが・・・。
まあ実は大垣は飛び地になっていて揖斐川と長良川の間にある「墨俣」も一応、大垣市ではある。ただ、墨俣を目指す道を案内する道標であれば「すのまた道」みたいな書き方をするだろう。そういう道標を実際に見たことがあるし。
いずれにしろどこかで揖斐川を渡る必要があるのだろうけど、どこで渡るのか、ちょっと見当がつかない。どこかの渡し場で揖斐川を渡ったのだろうか。
今月上旬に安八百梅園に行ったときに石仏道標を見つけたと、当日のエントリーに書いた。
その時の写真を掲載しておく。
まず、安八百梅園からは適当に一番近い道から歩いていたのだが、ふと地図を見ていると、もっと西のほうの川に近いところに、いかにも古そうな道を見つけた。
「いかにも古そう」と書いたが、地図を見ただけでなぜそう判断したかと言うと、それほど大きくなくてクネクネしていて両側に建物がたくさんある道というのは自分は古い道が多いと考えているからである。
特にこのあたりの輪中地域では治水が進んだあとに作った道とそうでない道が混在しているはずで、広い畑やまっすぐな道は後から作られたものだと考えている。
地図で見つけた道はもちろんくねくね道である。その道に入るところが↓。突き当たったところに神社があり、左右に通っているのが自分が見つけた道だ。
↓その神社。
↓この道がそれで、右側が神社である。
↓このような石仏があったので、これは古い道である可能性が極めて高い。
しばらく歩いていると正面で、道が左右に分かれていたのだが、分かれる道の間に神社がある。
当然、道標などチェックするのだが、石仏があるのがわかったので調べてみると、道案内が書かれた石仏道標だった。
ただ、なんて書いてあるかはわからなかった。「左 大カキ」はおそらく合っていると思うのだが、右がわからない。「右 ???万石」となっている。確かにここを右に行って北上したところに「万石」という地名は見当たるのだが・・・。
そしてそのときのGPSログがこれ。道標の場所に赤ピンを打っておいた。
昨年の10月末に海津市のイベントを観覧したあと、高須街道を少し散策してから駅方向に歩いているときに、餃子のような形の道標を見つけた。
本日、Googleマップでこの道標の場所を見てみると、なんと「道標」とアイコンが付けられているではないかw。
誰かが登録したのかなぁ?
ただ、アイコンをクリックしたときに左ペインに表示される各種ページへのリンクは間違っていて、「ウェブ検索結果」の一覧に今尾渡し道標の検索結果が出るのだ。もちろん今尾渡し道標は別物なので、これは要注意だ。
本エントリーは西尾街道で見つけた道標、その1、および、西尾街道で見つけた道標、その2からの続きになる。
三河安城駅に差し掛かったあたりで悪天候の不安があったので、この日は急遽、三河安城駅にある某浜松系の餃子屋さんで昼飲みとし、次の日に続きを歩くことにした。
箕輪町の交差点の前に光明寺という大きなお寺さんがあり、その門の脇に道標がある。
正面にかかれているのは「左 にしを のでら 道」だろう。これはWikipediaの西尾街道のページにも紹介されている。
この道標の側面にも道案内が書かれているが、これはなんと書いてあるのだろうか。よくわからん。。。「右 ふくかま 道」に見えなくもないが・・・。よくわからん。・。。
【追記】なんと書いてあるのかわからなかったので、もう少し調べてみたら、安城市が公開しているPDFを見つけた。
これによると、「右 ふかま 道」だそうだが・・・・うーん、、、ふかまには見えんのだよなぁ。だいたい4文字あるやろうに・・・。
さらに調べてみると、同じく安城市が公開している別のPDFを見つけた。
このドキュメントでは「右 ふくかま(福釜)」とあって、自分の読みと同じだった。
下記のエントリーで、今年の1月初旬に西尾街道を歩いたことを書いた。
西尾街道そのものはそれほど長くはないのだが、道中、道標をいくつか見つけたので、その写真を貼っとく。
さて。自分が歩いた西尾街道の道筋だが、池鯉鮒宿の中町で東海道から分岐して西尾街道は始まる。弘法通りを通り、猿渡川を渡ったところで県道298号線から外れ、しばらくして298に合流。三河安城駅の手前で南側に折れ、駅を通過した時点で雨が降ってきたので石松餃子で昼飲みに切り替えた。
次の日、三河安城駅からスタートし、県道12号をほぼほぼなぞる形で南下し、西尾城の手前のクランクを通り、平坂街道とぶつかったところで西尾街道までの道は終わる。
そこからさらに南東へ向かい、上横須賀駅の少し東のあたりで「吉良道」に合流し、吉良までを歩いた。全長は約27キロ。
で、今回掲載する道標は、東海道から分岐して少し歩いたところ、つまり、名鉄の高架をくぐって、「弘法通り」が始まるところの手前にある。
1面にだけ「記らみちはし」と書かれている。
昨日うpしたエントリーでちょろっと書いたが、多度道で見つけた道標がこれ。
西面。これは読みやすい。「右 つしま 左 ミの 道」。
一方で東面は読みづらい。なんとなく「すぐ 多度道」か?と思ったら、このPDFによるとそれで当たってたw。
同じ東面を明るくして撮影。
これは北面。特に何も書いてなさそうだ。
南面も何も書いてなさそう。
最後にGPXの記録で、伊勢東街道から多度大社への道と、道標の場所を。



























































