ポイント
昨日うpしたエントリーでちょろっと書いたが、多度道で見つけた道標がこれ。
西面。これは読みやすい。「右 つしま 左 ミの 道」。
一方で東面は読みづらい。なんとなく「すぐ 多度道」か?と思ったら、このPDFによるとそれで当たってたw。
同じ東面を明るくして撮影。
これは北面。特に何も書いてなさそうだ。
南面も何も書いてなさそう。
最後にGPXの記録で、伊勢東街道から多度大社への道と、道標の場所を。
鮎鮨街道は鮎鮓街道、御鮨街道、岐阜街道とも呼ばれる。長良川の鮎で作った鮎鮨を徳川家康に届けるために通った道である。長良川ちかくの御鮨所を出発し、笠松、一宮、清須、名古屋を経て、宮宿(熱田)で東海道に合流する。
自分は名古屋在住なので、この街道を歩くときは名古屋から岐阜方面に進む。言ってみれば鮎鮨とは逆方向に進むのだが、木曽川を渡って美濃国に入る少し前の黒田のあたり…焼肉屋が近くにある交差点…で、鮎鮨街道はカクッと左に曲がる。
ここを曲がらずに真っ直ぐ進むとどうなるか。一度間違えて進んだことはあるのだが、そのときはすぐに間違えたことに気づいて引き返した。
今回は、そのまま気づかないフリをしてまっすぐ進んでみようということであるw。
地図で言うとこれで。赤が鮎鮨街道、濃い青が今回進む道だ。
まず、鮎鮨街道から分かれてわりとすぐに、馬頭観音様と思しき石仏を見つけた。やはり古くからある道なんだろう。
そしてこれ。交差点に道標がある。これを見るために今回はここを歩いたのです。
↓これは・・・右・・・なんて書いてあるのかわからん。御なんとかwww。
↓ これはわかった。「左 一ノ宮道」だ。
この道をさらに進むと北方代官所がある。
清須の五条橋を美濃方面に渡ってちょっとの場所にある道標。
この場所には何もなかったのだが、1~2年ほど前にこの道標が設置された。もともとここにあったものが別の場所に移設され、それが晴れて戻ってきたのだろう。素晴らしいことだ。
試しに、「甚目寺つしま」の方向に歩いてみると・・・すぐのところに、このような意味有りげな交差点が。
今日、北国街道木之本宿をGoogleストリートビューで見ていたのだが、、、2023年6月の時点の写真に、あの道標が無い。
あの道標というのは、北国街道から北国脇往還が分岐する場所にある道標である。自分が2023年2月(つまり上のストビューの写真が撮影された5ヶ月ほど前)に北国脇往還を歩いたとき、道標の周辺で工事が実施されていて、道標はおろか後ろにある建物ともども無くなっていた。そのときの写真がこれだ。
道標があったときに撮影したのがこれ。2019年11月中旬に北国街道を鳥居本の中山道分岐点から木之本まで歩いたときに撮影した写真だ。
工事中の写真を見ると、工事の工期は令和5年(つまり2023年)3月20日までと書いてある。上のストビューの6月時点の写真では工事が完了しているわけだが、それでも、道標は無くなったままもとの場所に戻っていない。
うーん、どういうこっちゃ。ちょっと現場検証に行かなければならんなぁ。
土曜日に海津市役所でのイベントの帰りに道標を見つけたことを、昨日のエントリーで書いた。本エントリーはこれについての詳細になる。
まず、当日の海津市役所から駒野へ歩いたときのGPSログと、道標の位置を示したのがこれ↓。
次に、高須街道と高須城の写真を。
高須城跡は公園になっていてトイレも設置されている。
城の案内板によると、高須城は1522年の築城とのこと。
関ケ原の戦い以後、高須藩は尾張藩の支藩だったとのことで、そういえば高須街道は高須城と名古屋城を行き来するために整備された街道だった。
で、城からさらに西に数百メートルのところ、上の地図画像で言うところの赤い印の場所に、例の道標はある。
↓の画像の左側には地蔵寺があって、そちらに目が行きがちなのだが、まっすぐ奥に行く道と右に行く道の交差点に目を向けると、石の道標が。
うーん・・・。下の方が地面に陥没してしまっていて見えない。右は「右 今」しか読めない。この方向に今尾という地名があるので、たぶん「右 今尾」だろう。(注記:表記を間違えていたので10月31日に訂正しました)。
左も同じく埋もれてしまっている。「左」の字の下はおそらく「古」の変体仮名で、その下は「ま」のようにみえる。左にある「こま」から始まる地名と言えば、この日自分が行こうとしている駒野がちょうどその方向にある。というわけで、おそらく「左 古まの」だろう。
以下、別角度から撮影したものを2枚ほど。
↑餃子みたいな形やwww。
ついでだから、googleのストリートビューを貼っておく。
こないだの土曜日に岐阜市のイベントに行った帰りに道標を見つけた。
以前も長良川近くのスポーツ施設でのイベントに行ったときにこれを見かけたのだが、そのときは本当に時間がなくてスルーしていた。で、そのことすら忘れていて、土曜日にここを通りかかったときに、そういえば・・・と思いいつつ、石造物を見てみたら、道標だった。
表記はおそらく「右 たにくみ道」じゃないかな。「に」は「小」みたいな字で、「み」はカタカナの「ミ」みたいなやつかと思う、たぶん・・・。
場所はここ。
先程書いたエントリーで触れたが、大垣駅の北、アクアウォーク大垣の近くにある日吉神社で、立派な道標を見つけた。
自分は街道を歩いている際、神社や公民館などを見つけた場合にその敷地内をなるべく見渡すようにしている。時々だが、道標などの遺構が保管されていることがあるからだ。今回もそれで発見したわけで。
それにしても立派で保存状態が良い道標だ。文字はくっきり見えるし。「右 みえしきふかのう道」「左 かうといひたにくみ道」かな。「たに」の部分が詰まっててちょっとわかりづらいw。
それにしても、谷汲山へ案内する道標の数たるや、すさまじいものがある。当時は相当たくさんの参拝者が居たんだろうなぁ・・・。自分も谷汲巡礼街道、つまり中山道赤坂宿から分岐するアレを2022年の10月に歩いたけど、その道も途中いろいろと残っていたっけか。紅葉の名所だし、今年の秋も行ってみようかなと思う。
土曜日は岐阜某所でミニライブのイベントがあったので、朝おそくに現場に行ってきた。
で、現場は中山道加納宿のちかくだったので、ライブ後は中山道を京方面に向かって歩くことにした。自分の計画では、美江寺を超えて、揖斐川を超えて、小簾紅園を超えたあたりで中山道は北に向かうのだが、ここを南に折れると大垣駅とかそのへんにアクセスできて、ちょっと古そうな道もあるので、探検も兼ねて歩いてみることにした。夕飯は大垣で食べたいところだし。
結論から言うといろいろ発見があった。まず、道は思った通り古そうで、慶応年間の石仏があったりした。
そして一番の発見は、大垣のアクアウォークの近くにある、いかにも古くからありそうな道の神社に近づいたときのこと。
神社や公民館の敷地内に古い遺構が保管されているケースがけっこうあるので、自分は一応、神社も目の届く範囲で見渡すのだが、林町道標と名付けられたすごく立派な道標が保存されていた。
ちょっとこれは別エントリーで書く。
で、夕方の16時前には大垣駅に着いたので、だいぶ早いがいつもの蕎麦屋でビールと夕飯を。
こないだの土曜日は、自分が注目している西濃地域のご当地アイドルグループが滋賀県で開催されるイベントに出場するということで、行ってきた。
そのイベントの名前は「アイドル姉川の戦い」である。昨年も開催されたと記憶しているが、面白いネーミングじゃないかw。
「姉川の戦い」とは、織田・徳川連合軍 VS 浅井・朝倉連合軍との合戦であるが、合戦のたった数ヶ月前まで、織田家と浅井家は同盟関係だった。信長の妹である市と浅井家当主である浅井長政の婚姻関係によるものである。しかし、信長は越前の朝倉家への侵攻を開始し、これにより朝倉家と同盟関係にあった浅井長政は織田と朝倉との板挟み状態になるわけだが、ここは祖父の代から同盟を結んでいた朝倉との関係を選択し、金ケ崎で信長軍を背後から襲う。
危機を察知した信長は京都に引き返し、本国である岐阜に帰還するのだが、街道ブログ的なことを言えば、信長が岐阜へ帰還するために通った道が「千種街道」である。道中、信長は杉谷善住坊というスナイパーに狙撃されたりするんですけどねw。
で、姉川の戦いは、この一連の出来事に対する信長から浅井・朝倉への報復戦のようなものだと自分は理解している。
長浜市内の博物館に行くとこの戦いについて詳しく解説した資料がある。自分は毎年、長浜に行っている。今年はまだだけど、秋ごろには行きたい。
まあ信長の側からすれば妹を嫁に出しているにもかかわらず長政が裏切ったということになるし、長政の側からすれば同盟国を攻めた信長は裏切り者となるわけで、戦というのはどちらの視点に立つかで味方がガラッと変わってくるし、どちらが正しいなどと第三者が軽々に判断できるものではない。
話をアイドルイベントに戻そう。
朝、名古屋おでかけきっぷを買ってJRに乗り、朝メシは立ち食い、そして昼メシは大垣駅ちかくで食う。
大垣駅から米原方面の電車に乗り、近江長岡駅で降りて、しばらくして出発するバスで現場近くまで行く予定だった。しかし自分はまた馬鹿やらかした。大垣駅から、真逆の豊橋方面の電車に乗ってしまったのだった・・・。西岐阜で気づいて慌てて電車を降りたら、すぐに米原方面の電車がやってきたので、そちらに乗る。フリーきっぷを持っているのでこの部分は精算不要で。
これでは近江長岡駅からのバスには間に合いそうにない。ならば、と、駅から現場まで歩こうと思ったのだが、ちょっと間に合うか微妙なところである。自分は街道歩きのプロ(笑)なので、距離から時間、また逆に時間から距離に換算する感覚を持ち合わせている。それによると、めちゃくそ速歩きしてライブまでにギリ間に合うかどうかといったところだ。そもそも、この暑い中でめちゃくそ速歩きなど御免被りたいし、初めて行く現場なので早めに着いて場所を確認しておきたい。それで、近江長岡駅から旧道っぽいところまではタクシーで移動し、旧道っぽい道からは徒歩で移動することにした。
伊吹山が間近に迫る。
良い時間帯に現場に到着した。
ライブは2本あり、1本目と2本目の間に少し時間がある。そこで、その時間、現場近くを散策していたのだが・・・けっこう時間があったので、思い切って北国脇往還を少し歩くことにした。この会場は北国脇往還に接しているので。
ここを歩くのは3度目だ。
長浜街道との分岐点にある道標まで歩いて、そこからは引き返すことにした。
引き返すにしても、ちょっと時間があったので、途中の酒屋の自販機でエネルギー補給を。
エネルギーを注入し、現場に戻って2度目のライブを観覧した。芝生の上をトンボが飛んでいる中でのライブ。この現場はyoutubeで何度も見ているが、この日、初めて来た。ようやく来たかぁ、という思いだった。
観覧中に日焼け止めを塗り直したら、日焼け止めがなくなってしまったw。
ライブ終了後、数分後にバスが発車するので、すぐにバス停に向かい、近江長岡駅行きのバスに乗った。
近江長岡駅に着いたら、次の電車までに時間があったので、駅ちかくを散策。長岡神社ではセミの大合唱。みーーんみんみんみんみんみんみんみーーー。いいねぇ。
豊橋方面への電車に乗り込み、大垣駅で下車。いつもの夕方の早メシです。
昨日のエントリーで少しだけ取り上げたお千代保稲荷ちかくの道標のことだが、改めて本エントリーでも取り上げる。(昨日のエントリーではカテゴリ:道標を指定しなかったので。)
まず、雨に濡れている状態がこれ。
雨が上がってしばらくして、乾いた状態のがこれ。
当該部分のリサイズなしのトリミング。