年末の12月29日~30日で、2日間かけて、伊勢西街道を歩いてきた。伊勢西街道とは、中山道関ケ原宿から東海道亀山までをつなぐ街道である。この街道は「島津の退き口」で知られている。関ケ原の戦いで島津軍は西軍に属していた。しかしその西軍は小早川の裏切りが主因で敗北する。このとき島津軍は東軍に取り囲まれる陣形になっていた。そんな中、あろうことか島津義弘率いる300兵は東軍数万の中を敵中突破し、最終的に薩摩に帰還するのだが、そのときに駆け抜けた道がこの伊勢西街道なのである。
実はこの街道を歩きたいと思ったのは12月初旬だった。距離は80キロほどなので、土曜日と日曜日の2日間あれば踏破できる。それで週末が近づくたびに天気予報とにらめっこしていたのだが、土日のどちらかが雨となる週末が2週続いた。
断念した2度の週末では、伊勢西街道ちかくの街道である濃州道や菰野道を歩いたのだが、この2度の街道旅行で、員弁や菰野の天候の難しさを知った。天気予報で三重県下の他の地域が晴れでも、員弁や菰野だけは雨というケースが多いのだ。実際に濃州道を歩いていると、北の空や東のわりと近くに見える山肌近辺がえらく曇っているかと思えば、視線を南の遠くに向ければ空が明るかったりするのである。
そして12月の年末休み中に、2日連続晴れそうな日がやってきた。3度目の正直というわけだ。
当日朝、名古屋駅に移動し、キヨスクで具だくさんオニギリを2つ買って、ザックに入れた。現地は店が少ない上に、年末年始でやってないことを考慮して、昼メシを持参するというわけだ。
その直後、米原方面への列車に乗ったのだが、大垣で乗り換える頃にウ○コがしたくなってきた。しかも、電車が関ケ原に近づくにつれ、外の雪景色がみるみるうちに深くなってきた。前途多難というやつか。
積雪に関して言えば、関ケ原あたりの気候は東海地方と言うよりも湖北地方のそれに近いと思っている。自分は北陸の人間なので名古屋から越前に抜ける列車を冬に何度も乗っているので知っているのだが、関ケ原から長浜あたりはかなり雪が降る…。特にこの数日前、寒波により滋賀県の国道8号線が立ち往生したり、彦根でとんでもない積雪を記録した。あれからまだ数日しか経っていないわけで、そりゃ、関ケ原も積もってるわ・・・。
駅で○ンコを済ませて、観光交流館の洒落た建物にあるベンチで身支度を整える。駅前の温度計は-3度を指していた。日本気象協会の予報が完全に当たった格好だ。
交流館からすぐ南のところにある交差点が伊勢西街道の開始地点だ。
8時4分、伊勢西街道の旅行をスタートした。

街道のスタート地点は除雪がしてあって、ゆっくりなら歩ける。それにしても住宅地でこの雪ということは、、、住宅のない旧道など大変なことになっていることは簡単に予想できる。この時、シューズに装着する滑り止めのスパイクを持ってこなかったことを後悔した・・・
住宅地を抜けると烏頭坂があり、島津の旗が見えてくる。島津豊久がここで殿を務めたんだっけか。
その後も旧道を歩く。ありがたいことに、しっかり歩けるほどに除雪がされている。
牧田郵便局を右折してしばらくすると、旧道が消失しているので、代替ルートとして国道365を歩く。ただ、この道の歩道は雪が深く積もっていて、まったく歩ける気配がしない。仕方がないから歩道からはみ出て車道の端を歩くことにした。
ちなみにこのあたりで伊勢東街道が分岐する。こちらは島津義弘の本隊が駆け抜けた道で、西街道のほうは「捨て奸」戦法で徳川軍の追手を迎撃した島津豊久が通っている。
さて、下の写真の祠がある場所のあたりから旧道は国道から外れる上に、ルートが良くわからず、しかも外れた先は雪に覆われている。仕方がないのでここから先は、国道などの太い道を代替ルートとして選んで歩くことにした。
代替ルートの国道をしばらく歩いていくと旧道が再び接近してきたので、そこの積雪具合を見たところ、きれいに除雪されていたのでそちらへ向かう。
しばらくすると加登谷旅館の向かい側に、立派な常夜灯が。目の前にはなんと門松が建てられている。正直このとき、積雪のせいで旧道のルートを正確になぞることができず、歩く日を間違えたなぁと後悔していたのだが、しかしこの門松は大晦日ちかくじゃないと見れないものだ。悪いことがあれば良いこともある。
常夜灯を撮影したら、また歩き始める。
どんどん歩いていると、右側に大木が並んでいる大きな神社が。 大神神社だ。
大神神社を過ぎる。
そろそろ早目の昼メシといきたいところだ。どこか一休みできる場所に腰を下ろして、ザックに入ってる具だくさんオニギリを頬張りたいところなのだが・・・公園など一休みできそうな場所は雪に覆われていて一休みどころじゃない。しかし食いながら歩くのも貧乏くさくて嫌だ。これはもう、座れる場所があるところまで、根気よく歩くしかない。地図を見てみると、この先しばらくのところにかなり大きな公園があるようで、この大きさなら除雪されている可能性は高い。とにかくそこまで歩くことにした。
雪を見ながら歩く。歩く先には小鳥が飛んでいて、まるで私を誘導しているかのように、飛んでは道に留まり、また飛んでを繰り返している。
ふたたび風情のある道にたどり着く。
風情のある道を抜け、風情のない国道に合流し、しばらく歩いていると、ようやく公園にたどり着いた。公園の池は凍っていたwwwww
緑の村公園というらしいが、どう見ても白の村公園である。が、いずれにしても貴重な休憩場だ。駐車場の近辺が除雪されていたので、そこで荷物をおろし、持ってきた具だくさんなオニギリを頬張った。イスがないので、座って食うのは諦めた。立ち食いだ。
この時、北の方の空が少しずつ暗くなってきた。いやーな重苦しい雰囲気である。もしやと思って降雨レーダーの画像を見ると、、、すぐ近くで雨が降っているような気配が…。にしても、実際に周囲を見渡しても降ってないし、国道を走る車を見下ろしてもワイパーを動かしている車は居ない。このまま天気が持てば良いのだが…
具だくさんオニギリを2つ食ったあと、トイレを済ませ、移動を再開する。しばらくすると旧道に分岐する。こちらは除雪がされているので歩くことに。
↓こんなんじゃ、常夜灯に何が書かれているかも分からないよw
メシ休憩後は、代替ルートを通らざるを得ない区間は、午前中に比べて多くはなかった。
予定では、昼メシを食ってから3時間ほどでこの日のゴール地点にたどり着く。
さて。伊勢西街道は2日に分けて歩く計画で、1日目はスタート地点の関ケ原から、中間地点のやや手前にある伊勢治田駅までとしていた。中間地点のやや手前というのがポイントである。というのも、初日は自宅からスタート地点までの移動時間があるため歩き始めるのが少し遅くなるが、2日目は再開地点近くに宿泊できるためそこまでの移動時間が少なくて済む。つまり、1日目はやや短めを歩き、前泊の強みを活かせる2日目は1日目よりも長く歩くというのが、私のやり方なのだ。
そして両日ともに、17時までにメシを食う予定の町に移動する。たいていの店の夜の営業は17時からなので、その時間に狙って行けば店が空(す)いているうちにメシが食えるというわけだ。コロナ以後、僕はそうしている。
だが、朝から積雪のために本来の旧道を諦めて代替ルートを通ることが多かったので、タイムロスがそこそこあった。伊勢治田駅ちかくに来てもあいかわらず本来の旧道が↓のようになっていて、泣く泣く代替ルートを選ぶことに…。伊勢治田駅への到着は、予定の時間には間に合いそうもない。
↓これも、下段の本来ルートが完全に雪に覆われているので、やや大回りの別ルートを歩くことに…。
予定では伊勢治田駅を15時21分に出発する近鉄富田行き三岐線列車に乗るつもりだったが、それやこれやのタイムロスにより、伊勢治田駅に到着したのは電車が出発した4分後の、15時25分だった。

駅では黒い猫ちゃんがお出迎えをしてくれた。
駅で一休みしたあと、次の15時48分の近鉄富田行きに乗り、近鉄富田から近鉄四日市に乗り換えた。
次エントリー:伊勢西街道を歩いてきた。1日目番外:四日市とんてきへ続く。

































