飛騨南街道
2019年8月24日。新型糞コロナがなかった時代。今渡街道を今渡から多治見に歩こうと思い、昼メシを太田宿にて摂った。その後、今渡の渡しまで歩く途中、中山道と飛騨街道との分岐点にある立派な道標を撮影した。
この道標も伊藤萬蔵が造ったものなのか・・・。同じ太田宿の西の方にある、関・上有知方面への同表も伊藤萬蔵のものだったなぁ。
この後、今渡街道を急いで多治見まで行った。夕方にお楽しみの予定があったので…。
e1sa1 at 22:02|Permalink│Comments(0)
2019年8月24日。新型糞コロナがなかった時代。今渡街道を今渡から多治見に歩こうと思い、昼メシを太田宿にて摂った。その後、今渡の渡しまで歩く途中、中山道と飛騨街道との分岐点にある立派な道標を撮影した。
この道標も伊藤萬蔵が造ったものなのか・・・。同じ太田宿の西の方にある、関・上有知方面への同表も伊藤萬蔵のものだったなぁ。
この後、今渡街道を急いで多治見まで行った。夕方にお楽しみの予定があったので…。
東海地方を拠点に、旧街道を気の向くまま好き勝手に歩いています。
道中、一眼レフカメラで写真を撮り、腹が減れば道筋付近の店でメシを食い、目的地に到着しても夜にその街をほっつき歩いたりします。コロナのため夜の街をほっつき歩くのは辞めました。
また、図書館などで旧道について調査した際のメモも掲載します。
運動やら健康やらダイエットやら仲間との交流やらが目的のウォーキングをしているわけではないし、興味も無いので、その手の記事はこのブログには出てきませんので、あしからず。