川戸新道

【速】川戸新道をGoProとともに歩いた

07:15:59

昨日のことではあるが、下街道の脇道で、多治見から土岐に通じる「川戸新道」と思しき道を歩いた。

「思しき」という表現を使ったのは、正確な資料がなく、断片的な情報から「ここだ」と推定したルートだからである。

過去の川戸新道にかんするエントリーは下記のとおりになる。

土岐に着いた後、某回転寿司に行った。早い時間帯は客が少ないので。静かな環境での一人飲みをするのにも好都合である。

現在、浜松の笠井街道を歩いた映像を編集中だが、これをうpする前に、川戸新道の映像が蓄積された…。ちょっと編集を本気でやらないとアカンかも。



e1sa1 at 07:15|PermalinkComments(0)

川戸新道を歩いた その2 下街道から分かれ、川戸新道の開始地点までからの続き。

例によって、エントリー中の写真にカッコ書きで連番が振ってあるものは、下地図中のウェイポイントを撮影したものである。

Screenshot_2020-08-20 Leaflet Script generated by Wadachi
当エントリーで紹介するルートは青線の部分。

前回は下街道から分岐して川戸新道に至る道、すなわち虎渓道の道標から土合の道標までのルートを掲載した。いよいよ当エントリーが川戸新道である。

ちなみに、土合の道標を南下する道が「生田新道」で、これは下街道に続いている。

土合の道標をそのまま道なりに東に進むと、すぐに、左手に祠と石が見えてくる。

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(8)土合橋ちかくにある祠と石。

どんどん、道を東に進む。歩道が無い道をときどき車が通りかかるので、お世辞にも歩きやすいとは言いづらい。が、マイナーな街道を歩いている感はあるw。

しばらくすると右に曲がる道があって、その前の建物の影に祠がある。

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(9)建物の後ろにある祠。

そこからすぐのところに、「欠築沢川橋りょう」がある。「欠築」には丁寧に「けっちく」というフリガナがカッコ書きで振ってあるが、僕の記憶ではこのあたりの地名は「欠簗」(かけやな)だったと思うのだが…。

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(10)「欠築沢川橋りょう」。

左側にJRの線路と右側に森を見つつ、どんどん東に歩いていくと、土岐市に突入する。そのあたりから右側の視界が開け始め、美しい土岐川がはるか下方に見えてくる。しばらくは視線を右に向けながら歩くのが良い。

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右の川の美しさを見つつも、道全体の観察を怠らず続けていたところ、左側の崖になんと石仏があるではないか!これは馬頭観音だろうか?

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(11)石仏

しばらく進んだところにも、石仏が!

この時点で自分は、この道を選んで正解だったと確信したのだった。

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(12)石仏

さらに、石仏が。ガケを囲むフェンスも仏様を囲むような罰当たりなことはしていない。

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(13)フェンスから覗く石仏

そして、こんなものを見つけた。判読はできそうなので、一眼レフで何枚か撮影しておいた。

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(14)川戸新道士記

ちなみに上記の石碑であるが、多治見市の「コース71 多治見駅から土岐市駅コース」だと「川戸街道士記」、土岐市の「広報とき」には「川戸新道之記」とある。僕には「川戸新道士記」と読めるので、そう記載した。

石碑を超えてどんどん坂を下ると、やがて平坦になってきて、市街地のような景色が現れてくる。

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国道19号をくぐって少しのところに、左にそれる道がある。これがおそらく旧道だと思うのだが、そう思う根拠がこの常夜灯の存在である。

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(15)日之出町の常夜灯

常夜灯の脚には道案内が書かれている。「左 名古屋」は判読できる。が右は何だ?「右 岡○」の○は崎のつくり部分のように見えるが…。確かに、ここを南に南に進めば、やがて岡崎にたどり着く。

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(15)日之出町の常夜灯の脚。「右 名古屋」は判読できるが…

そして国道19号を超えて駐車場のような場の道を歩いていると、左側に、道標を兼ねた常夜灯、津島神社碑、二十二夜の石碑、道標の4つが待ち構えている。これらはとても立派だ。自分はいろいろな街道を歩いてきたが、これほど目立つ遺構はそうそうあるものではない。

このうち、小さな道標のアップ写真だけ、下記に掲載する。(他は撮影をミスってたので・・・。)

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(16)「右 久々里 道」「左 こけい山 道」

ここが明治街道(下街道の山野内~中山道の今渡二軒家)なので、ここがゴール地点と考えられる。

以上が川戸新道の想定コースである。



e1sa1 at 20:22|PermalinkComments(0)

川戸新道を歩いた その1からの続きです。

前回は自作ルートの全体図を記載した。そこでも書いたとおり、このルートはあくまでも断片的な情報を元に作ったものなので、正確ではないかもしれない。

当エントリーで記載する区間は、下街道の虎渓道道標から土合の道標まで。つまり、下街道から分かれて川戸新道に至る道と考えられる区間で、下図の青線の道である。

また、丸括弧で連番が振ってある写真は、下図の赤いウェイポイント部分を撮影したものである。(1)は一番最初のウェイポイント、(2)はその次、といった具合だ。

Screenshot_2020-07-21_2 Leaflet Script generated by Wadachi

下街道の多治見橋からやや西南(名古屋方面)に行ったところに、五叉路がある。これを南西に向かう「ながせ商店街」が下街道で、北西に向かうのが今渡街道だ。そして北に向かう道には立派な「虎渓道」の道標があり、ここから虎渓山、高田、そして川戸新道に向かうことができる。

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(1)虎渓道の道標。

この道を歩くとすぐにJRの線路にぶつかるのだが、線路のすぐ近くに、馬頭観音がある。

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(2)JR中央線線路近くの馬頭観音。

馬頭観音のすぐ右に踏切があるので、これを渡る。

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(3)第7明治街道踏切。

踏切を渡ると、ころうどんの名店「信濃屋」があるので、これを右に見つつまっすぐ歩くと、正面に常夜灯と祠が見えてくる。

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(4)Y字路の常夜灯と祠。
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(4)常夜灯をアップに。

常夜灯を左に見つつ北上する。国道19号を渡ってしばらくすると、Y字路にぶつかる。

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(5)Y字分岐点。

これを右折すると虎渓山永保寺に至る道なのだが、そちらには行かず左折して永保寺の西を通る。

青線の道からはやや外れるが、永保寺の北東あたりにこのような道標のような石があった。表面は分厚いコケで覆われていて、何がなんだかさっぱりわからない。コケがかろうじて生えていない側面に文字が見えるが、残念ながら1字2字しかわからない。多治見市史で紹介されている道標なのだろうか・・・?

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(6)石造物の正面。
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(6)石造物の側面。
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(6)石造物を遠くから見たところ。

JRの線路に沿って東に進むと、左右が木で囲まれた道に入る。傾斜が下りになり、進んでいくと、視界が開けてきて、右側に土岐川が、左側にJRの高架が見えてくる。

そのまま進んで土岐川に注ぎ込む支流の橋を渡ったところに、道標がある。

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(7)道標の西面。「右 善光寺道」
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(7)道標の東面。「 右 たか田 道」「左 こけい 道」
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(7)道標の南面には何も書かれていないようだ。
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(7)道標の北面にも同じく何も書かれていないようだ。

文字がしっかり判読できるこの道標には、西面に「右 善光寺道」、東面に「 右 たか田 道」「左 こけい 道」と書かれているこの道標は、多治見市のウォーキングコース「コース61虎渓山と山吹町コース」にも記載されている。

ここから土岐の久尻に至る道が、川戸新道である。

(その3につづく)



e1sa1 at 20:30|PermalinkComments(0)

川戸新道を歩いた その1

20:51:29
カテゴリ:想定ルート 

私が人生で初めて徒歩でスタートからゴールまで歩いた旧街道が「下街道」だが、その下街道のバイパスが川戸新道である。

下図は、あくまでも断片的な情報をもとに独断で自作したルートである。したがって、正確ではないかもしれないことをあらかじめ記載しておく。

西側の始点(終点)は下街道と今渡街道の合流地点で「虎渓道」の道標がある交差点土合にある川戸街道の道標、そして東側の終点(始点)は明治街道との接続点と思われる地点とした。下図で言うと青色の線である。

Screenshot_2020-08-13 Leaflet Script generated by Wadachi

ちなみに黒い先は下街道から土合に至る道だ。

(その2に続く)

2020/08/13、西側の地点を修正した。



e1sa1 at 20:51|PermalinkComments(0)

下街道「長瀬・欠簗を通る新道」と「川戸街道」 その3 土合の道標~日之出町の常夜灯からの続き。

前回は日之出町の常夜灯までを歩いた。

先程まで「その4」を写真付きで書いていたのだが、どうもその道が間違っているんじゃないかと思ってきた。

よって、このシリーズはいったんここで完結する。その1で掲載した地図も、間違っているんじゃないかと思う。

追記。その1~その3を削除した。近日、「川戸新道」だけを取り上げた記事をうpすることとする。



e1sa1 at 22:11|PermalinkComments(0)