伊勢西街道
本エントリーは伊勢西街道を歩いてきた。2日目:伊勢治田~亀山の続きになります。
15時半ごろに井田川駅からのJRに乗り、某駅まで移動する。そこからは徒歩で、某店までやってきたw。
私がなぜ街道歩きを、夜明け直後の早い時間帯から始めて、15時という冬でもまだ明るい時間帯に終えるのか。それは、夜メシを食う際にまだ客の少ない早い時間帯に食いたいからである。
まずは街道歩きで失われた水分を、街道歩きのスポーツドリンクで補う。
回転寿司屋だけどサイドメニューをいろいろ頼むことにする。
なんか揚げ物ばかりになってしまった・・・。
以上、2日間で伊勢西街道(関ケ原~亀山)を歩いてきたわけだが、この道の名は美濃国の側から見た名称で、伊勢国の側からは同じ道を「巡見街道」と呼ぶ。今回は美濃国から伊勢国に向かったので伊勢西街道と称し、一連のエントリーを書いてきた。
1日目のエントリにも書いたとおり、積雪のせいで正規ルートを通れずに代替ルートを通った区間がけっこうあったので、春になったらリベンジを行う予定である。その時は、伊勢西街道を歩くか、巡見街道を歩くか、気分で決めようと思うw。
このエントリは伊勢西街道を歩いてきた。1日目:関ケ原~伊勢治田、および伊勢西街道を歩いてきた。1日目番外:四日市とんてきからの続きになります。
四日市の宿で目が覚めた。朝食付きのプランだったが、それを頂くこと無く、前日に買っておいたパンを部屋で食する。ちなみにだが僕はパンというものを1年に数回しか食べない。炭水化物はだいたい米がメインで、ときどき麺類を食う。ではなぜ珍しくもパンを食べたかと言うと、前日夜にスーパーでおにぎりを探したのだが、なぜか売り場には1個もなかったからだ。年末の特別な時期だからだろうか。
宿を出て、近鉄四日市駅方面に向かう。まだ5時過ぎの駅には、夜通し飲み明かしたと思しきDQNがたむろしている。コロナのこの時期によくもまあご苦労なこった。
四日市を5時半過ぎに出る列車は、始発の次の電車になる。これに乗って近鉄富田まで行けば、三岐鉄道三岐線の始発に接続できるわけだ。この始発に乗れば、6時半には、前日の終了ポイントであり本日の開始ポイントである伊勢治田駅に到着する。日の出が7時なので、日の出前から行動開始ができるわけだ。っつーか、泊まりの長距離旅行でこんな早くから行動したことなどないw。
富田駅を出た頃は外は真っ暗だったが、伊勢治田駅に近づくにつれ、遠く地平線のあたりにほんのうっすらと明かりが見え始めた。そして伊勢治田駅に着いた頃には、朝焼けが近づいてきた。
切符は車内で回収されたので、駅の改札はそのままスルーする。改札では昨日の黒猫ちゃんが、まだ寝ていた。
身支度を整え、いざ、スタートする。

少しずつ、明るくなってきたかと思うと・・・
燃えるようなものすごい朝焼けが東の空を燃やす。
道標を見つけた。現地では判読不能だったが、この写真を見てもやはり判読不能であるw。「右 治田」「左 滋賀縣」みたいなことが書いてあるような気がする。
朝焼けが背中を照らす。
これも道標。判読不能w。「左 三重郡」「右 右丹生川村」みたいなことが書いてあると思う。
と、調べてみたらこういう記事があった。
ここからは、一心不乱にどんどん歩く。
↓ちょっとこの雲行きは怪しいが、ここ数週間、このあたりを歩いた経験上、周囲の山の天気はこういうもんだと思えるようになってきた。おそらく街道を歩いている限り、雨に降られることはないだろう。たぶん・・・。
↓とんでもない大きさの常夜灯を見つけた。僕が見た中では、伊勢別街道で見たものの次ぐらいに大きい。
このあたりまで来るとようやく積雪が少なくなり始める。
ようやく、積雪がほとんどない場所にまで南下してきた。っつーか前日は積雪のおかげで正規ルートを通れずに代替ルートを通る区間が多かった。まったく街道歩きにはなっていない。雪が溶けたら必ずリベンジしようかと思っている。
昼メシに少し早い時間帯に菰野にたどり着くので、あらかじめ決めておいたスーパーで弁当を買う。
その店にはいろいろな種類の弁当が並んでいたが、伊賀米を使ったものが多いのはありがたかった。その中から、鶏を使ったものをえらんだ。
ちなみに、この日は夕方の早い時間帯にメシを食う予定なので、それにあわせて昼メシも早い時間帯に食った。
道中ではのんびり写真やら動画を撮影していたおかげで、ペースダウンしていたので、昼メシを食ったあとは、亀山に向かってかなり急いで歩いた。あまりに急いだので、写真があまりないw.
ゴールは亀山にある東海道との分岐点だ。15時にたどり着いた。

本来の予定だとゴール地点にはもっと早く着いて、そこからは東海道を歩いて亀山駅か井田川駅まで行くはずだったのだが、歩いていてはさすがに15時半ごろの電車に間に合わないので、ゴール地点から井田川駅まではタクシーで移動した。
伊勢西街道を歩いてきた。1日目:関ケ原~伊勢治田からの続き。
15時48分発の近鉄富田行きに乗り、近鉄富田から近鉄四日市に乗り換えた。予定よりも1本遅い列車だったが、目標としている17時前には四日市にたどり着く。飲食店は17時に開くことが多い。17時のオープン直後に入れば店は高確率で空(す)いている。最近の僕はこれを狙っているわけである。
近鉄四日市に着いた。が、さすがの四日市。人が、多い。人が集まる場所が嫌い、いや、人間そのものが嫌いな私は、ややうんざりしながら、事前にリサーチしておいた店や、飲食店の多いエリアをいろいろ見て回る。
ちなみに私は以前、↓こういう路地裏の写真を撮るのが趣味で、そういうブログもやっていた。
この日の目標は「四日市とんてき」だ。んで、これを出している店があるので、その前まで行ったのだが・・・、この日は年末で休みだった
仕方がないので、町を歩くことにする。事前に調べた店以外に良さそうな店はないかも含めて、いろいろ探すのだが、17時直後の早い時間帯にも関わらず、入っている店には客がけっこう入っているではないか。
四日市のアーケード商店街は東海道が通っているが、そこを中心に周囲をぐるぐると30分ほど歩きまわって、決めた。ここは「困ったときのゑびすや」発動だ。
実は夏に東海道を歩いたときも、四日市宿で昼メシ時に入ろうかという店が無くて困っていた中、「東京おぎくぼラーメン ゑびすや 四日市店」さんは客の回転が良くてコロナ対策もされていたので、入った次第である。・・・。
店は年末限定メニューにもかかわらず、ちゃんと、四日市とんてきは存在するので、欠かさず注文する。
まずは、街道ウォークで失った水分を補給するスポーツドリンクを。
ハーフサイズの炒飯でも、けっこう入っています。
ラーメン屋の定番。餃子。
そして主役の、四日市とんてき。街道ウォークで失った栄養素を補給するにはとても良い。
年末の12月29日~30日で、2日間かけて、伊勢西街道を歩いてきた。伊勢西街道とは、中山道関ケ原宿から東海道亀山までをつなぐ街道である。この街道は「島津の退き口」で知られている。関ケ原の戦いで島津軍は西軍に属していた。しかしその西軍は小早川の裏切りが主因で敗北する。このとき島津軍は東軍に取り囲まれる陣形になっていた。そんな中、あろうことか島津義弘率いる300兵は東軍数万の中を敵中突破し、最終的に薩摩に帰還するのだが、そのときに駆け抜けた道がこの伊勢西街道なのである。
実はこの街道を歩きたいと思ったのは12月初旬だった。距離は80キロほどなので、土曜日と日曜日の2日間あれば踏破できる。それで週末が近づくたびに天気予報とにらめっこしていたのだが、土日のどちらかが雨となる週末が2週続いた。
断念した2度の週末では、伊勢西街道ちかくの街道である濃州道や菰野道を歩いたのだが、この2度の街道旅行で、員弁や菰野の天候の難しさを知った。天気予報で三重県下の他の地域が晴れでも、員弁や菰野だけは雨というケースが多いのだ。実際に濃州道を歩いていると、北の空や東のわりと近くに見える山肌近辺がえらく曇っているかと思えば、視線を南の遠くに向ければ空が明るかったりするのである。
そして12月の年末休み中に、2日連続晴れそうな日がやってきた。3度目の正直というわけだ。
当日朝、名古屋駅に移動し、キヨスクで具だくさんオニギリを2つ買って、ザックに入れた。現地は店が少ない上に、年末年始でやってないことを考慮して、昼メシを持参するというわけだ。
その直後、米原方面への列車に乗ったのだが、大垣で乗り換える頃にウ○コがしたくなってきた。しかも、電車が関ケ原に近づくにつれ、外の雪景色がみるみるうちに深くなってきた。前途多難というやつか。
積雪に関して言えば、関ケ原あたりの気候は東海地方と言うよりも湖北地方のそれに近いと思っている。自分は北陸の人間なので名古屋から越前に抜ける列車を冬に何度も乗っているので知っているのだが、関ケ原から長浜あたりはかなり雪が降る…。特にこの数日前、寒波により滋賀県の国道8号線が立ち往生したり、彦根でとんでもない積雪を記録した。あれからまだ数日しか経っていないわけで、そりゃ、関ケ原も積もってるわ・・・。
駅で○ンコを済ませて、観光交流館の洒落た建物にあるベンチで身支度を整える。駅前の温度計は-3度を指していた。日本気象協会の予報が完全に当たった格好だ。
交流館からすぐ南のところにある交差点が伊勢西街道の開始地点だ。
8時4分、伊勢西街道の旅行をスタートした。

街道のスタート地点は除雪がしてあって、ゆっくりなら歩ける。それにしても住宅地でこの雪ということは、、、住宅のない旧道など大変なことになっていることは簡単に予想できる。この時、シューズに装着する滑り止めのスパイクを持ってこなかったことを後悔した・・・
住宅地を抜けると烏頭坂があり、島津の旗が見えてくる。島津豊久がここで殿を務めたんだっけか。
その後も旧道を歩く。ありがたいことに、しっかり歩けるほどに除雪がされている。
牧田郵便局を右折してしばらくすると、旧道が消失しているので、代替ルートとして国道365を歩く。ただ、この道の歩道は雪が深く積もっていて、まったく歩ける気配がしない。仕方がないから歩道からはみ出て車道の端を歩くことにした。
ちなみにこのあたりで伊勢東街道が分岐する。こちらは島津義弘の本隊が駆け抜けた道で、西街道のほうは「捨て奸」戦法で徳川軍の追手を迎撃した島津豊久が通っている。
さて、下の写真の祠がある場所のあたりから旧道は国道から外れる上に、ルートが良くわからず、しかも外れた先は雪に覆われている。仕方がないのでここから先は、国道などの太い道を代替ルートとして選んで歩くことにした。
代替ルートの国道をしばらく歩いていくと旧道が再び接近してきたので、そこの積雪具合を見たところ、きれいに除雪されていたのでそちらへ向かう。
しばらくすると加登谷旅館の向かい側に、立派な常夜灯が。目の前にはなんと門松が建てられている。正直このとき、積雪のせいで旧道のルートを正確になぞることができず、歩く日を間違えたなぁと後悔していたのだが、しかしこの門松は大晦日ちかくじゃないと見れないものだ。悪いことがあれば良いこともある。
常夜灯を撮影したら、また歩き始める。
どんどん歩いていると、右側に大木が並んでいる大きな神社が。 大神神社だ。
大神神社を過ぎる。
そろそろ早目の昼メシといきたいところだ。どこか一休みできる場所に腰を下ろして、ザックに入ってる具だくさんオニギリを頬張りたいところなのだが・・・公園など一休みできそうな場所は雪に覆われていて一休みどころじゃない。しかし食いながら歩くのも貧乏くさくて嫌だ。これはもう、座れる場所があるところまで、根気よく歩くしかない。地図を見てみると、この先しばらくのところにかなり大きな公園があるようで、この大きさなら除雪されている可能性は高い。とにかくそこまで歩くことにした。
雪を見ながら歩く。歩く先には小鳥が飛んでいて、まるで私を誘導しているかのように、飛んでは道に留まり、また飛んでを繰り返している。
ふたたび風情のある道にたどり着く。
風情のある道を抜け、風情のない国道に合流し、しばらく歩いていると、ようやく公園にたどり着いた。公園の池は凍っていたwwwww
緑の村公園というらしいが、どう見ても白の村公園である。が、いずれにしても貴重な休憩場だ。駐車場の近辺が除雪されていたので、そこで荷物をおろし、持ってきた具だくさんなオニギリを頬張った。イスがないので、座って食うのは諦めた。立ち食いだ。
この時、北の方の空が少しずつ暗くなってきた。いやーな重苦しい雰囲気である。もしやと思って降雨レーダーの画像を見ると、、、すぐ近くで雨が降っているような気配が…。にしても、実際に周囲を見渡しても降ってないし、国道を走る車を見下ろしてもワイパーを動かしている車は居ない。このまま天気が持てば良いのだが…
具だくさんオニギリを2つ食ったあと、トイレを済ませ、移動を再開する。しばらくすると旧道に分岐する。こちらは除雪がされているので歩くことに。
↓こんなんじゃ、常夜灯に何が書かれているかも分からないよw
メシ休憩後は、代替ルートを通らざるを得ない区間は、午前中に比べて多くはなかった。
予定では、昼メシを食ってから3時間ほどでこの日のゴール地点にたどり着く。
さて。伊勢西街道は2日に分けて歩く計画で、1日目はスタート地点の関ケ原から、中間地点のやや手前にある伊勢治田駅までとしていた。中間地点のやや手前というのがポイントである。というのも、初日は自宅からスタート地点までの移動時間があるため歩き始めるのが少し遅くなるが、2日目は再開地点近くに宿泊できるためそこまでの移動時間が少なくて済む。つまり、1日目はやや短めを歩き、前泊の強みを活かせる2日目は1日目よりも長く歩くというのが、私のやり方なのだ。
そして両日ともに、17時までにメシを食う予定の町に移動する。たいていの店の夜の営業は17時からなので、その時間に狙って行けば店が空(す)いているうちにメシが食えるというわけだ。コロナ以後、僕はそうしている。
だが、朝から積雪のために本来の旧道を諦めて代替ルートを通ることが多かったので、タイムロスがそこそこあった。伊勢治田駅ちかくに来てもあいかわらず本来の旧道が↓のようになっていて、泣く泣く代替ルートを選ぶことに…。伊勢治田駅への到着は、予定の時間には間に合いそうもない。
↓これも、下段の本来ルートが完全に雪に覆われているので、やや大回りの別ルートを歩くことに…。
予定では伊勢治田駅を15時21分に出発する近鉄富田行き三岐線列車に乗るつもりだったが、それやこれやのタイムロスにより、伊勢治田駅に到着したのは電車が出発した4分後の、15時25分だった。

駅では黒い猫ちゃんがお出迎えをしてくれた。
駅で一休みしたあと、次の15時48分の近鉄富田行きに乗り、近鉄富田から近鉄四日市に乗り換えた。
次エントリー:伊勢西街道を歩いてきた。1日目番外:四日市とんてきへ続く。