下街道
土曜日に多治見にちょろっとだけ寄ったのだが、下街道すぐのところの「こもり食堂」が、建物ごと無くなっていた・・・。
ショック・・・・。
中山道の大湫から東海道の池鯉鮒を結ぶ「三河街道」という道がある。というか、あるらしい。
「らしい」というのも、その存在はいろんな文献で紹介されているのだが、詳細なルートを紹介している媒体がまったく見つからないわけで。
わかっているのは大湫から池鯉鮒までどの町/村を通るかってことと、あとは、下街道と一部を共有していて、「名滝の追分」で下街道は東に向かって土岐川を渡るのに対し、三河街道はそのまま土岐川の西側を通るってことくらいだ。
で、ちょうど2年前に、名滝の追分から分岐した三河街道がどういうルートを通るか、地図上で想像してみた。おそらくは県道421とほぼほぼ同じで、旧道は途中でそれたりしているんじゃないかと思った。ルートを想像して、2020年6月21日、実際に歩いてみた。
瑞浪駅を出て土岐橋をわたり、 中島醸造 のあたりに来る。このへんは風情がある街並みだ。すぐ近くに小里川があって、川の向こう側では421が北上している。421は川の北岸で、川に遮られる形で折れ曲がっているのだが、南側に目を向けると、421が川をまっすぐわたってきたかのごとく延びている道がある。そしてそこには、このような道標がある。
なんて書いてあるか?よくわからないが、おそらくは「左 大湫 大井」「右 岩村 明智」ではないか??
さて、三河街道とは本当に謎の多い街道なわけだが、本日、ちょっとひさしぶりにぐぐってみたら、とんでもないものを見つけてしまった。どうも瑞浪市観光協会がわりと最近に作成したサイトのようで、市内の三河街道について書かれているではないか!
googleマップでも出てきた。「三河街道 道標」でマップ検索すると、上記サイトで紹介されている場所がヒットする。「瑞浪.com」の表記があるので、おそらくは瑞浪市観光協会が登録してくれたのだろう。実にすばらしい。
ただ、瑞浪.comのサイトではこの道標は「中切辻の三河街道道標」という名で紹介されているが、Googleマップでは「戸切辻の三河街道道標」で登録されている。うーん・・・どちらなんだ?
もう少しGoogleマップを見てみると、中街道と下街道の分岐地点が「中切追分の道標 」と登録されていて、この周辺には中切神社や中切公民館がある。瑞浪.comのサイトでも中切辻の道標のページがあって、こちらは.comもマップも一致してる。
というわけで、上の写真の道標は「戸切」だろうと思ったのだが、あらためてその周辺をGoogleマップで近くを見ると「中切地蔵菩薩」が登録されていて、これが瑞浪.comでは益見中切 辻の地蔵のページで紹介されている。
うーん、謎だ・・・
ちなみに釜戸には「下切」もあれば「上切」もある・・・。下街道を歩けば目にするアレです。
ちょっとよくわからなくなってきたので、今日は酒を飲んで寝ることにしよう。
今日はそのリベンジで、釜戸あたりから歩こうかと思う。
昨日の下街道ウォークでは、多治見から槙ヶ根まで歩く予定だったが、朝起きるのが遅かった上に家でモタモタしていたおかげで、多治見を出発したのは9時半ごろ。しかも、ウォーク終了後にJRで中津川まで移動して17時に閉まる店でどうしても買い物がしたい用事があったため、結局、武並までとした。
武並から槙ヶ根、そして大井宿まではたかだか数キロなので、まあいつか中途半端に時間が余った日に続きを歩くことにする。
あーあ、あと1時間早く起きていれば・・・。
昨日は名古屋札の辻から多治見までを歩いた。2日間あるからのんびりで。
本日は多治見から終点の槇ヶ根までと、さらに中山道の大井宿までを歩く。。
本日、下街道の勝川から上街道に抜ける道を歩いた。
上街道との合流地点にはこの石仏道標がある。
このお地蔵様は『郷土誌かすがい 第19号』によると「椎堅地蔵」というらしい。「右 志ミ州道」「左 かち川道」と刻まれている。
下街道の和合にある道標。おそらく、明治街道との分岐点だと思われる。
真正面の目立つ面には「左 高山へ凡一里 多治見へ凡三里 名古屋へ凡十里」とある。
同じ道標の別の面。こちらは、「右 定林寺ヲ經テ御嵩ヘ凡四里 岐阜ヘ凡十三里」かな?