ポイント
1ヶ月前のことになるが、月一の岐阜市でのアイドルイベントに行く直前、名古屋駅構内の立ち食いでちょっとかがんだ格好でそばを食っていたら、腰が急に痛くなってしまった。
それから2日間くらいは本当に痛かったのだが、徐々に痛みは和らいできた。
しかし、ほんの僅かな痛みだけが、1ヶ月経った今になっても消えない。
この間、あまり腰に負担をかけることは避けようと思い、重い荷物を背負っての街道ロングウォークは行ってこなかった。まあせいぜい、カメラを持って15キロほど散歩する程度で。
昨日もそのイベントのために岐阜に行ったわけだが、、、なんか岡山からすげえスタイルの良いとんでもない美少女軍団?美女軍団が来ていて。 1st☆kissというグループらしく、聞くと、なんと前日にアイドルデビューしたばかりというから驚きである。
イベント観覧後、岐阜市内で昔からありそうな道を探索してみた。
柳ヶ瀬antsの目の前の道が、柳ケ瀬商店街、西柳ヶ瀬商店街から続いていて、そのまま西に伸ばすと中山道に接続するので、これに目をつけたわけだ。
以前どこかで見た地図で、接続ポイントからそう遠くないあたりに「道標」と書かれていた記憶があって、そのあたりを歩いてみたのだが、残念ながら道標は見つからなかった。
(今、その地図を確認したのだが、記憶とはまったく違う場所だった・・・)
そんな感じの空振りなわけだが、収穫はあった。川沿いで常夜灯を見つけたのだ。
谷汲街道の「亀の渡し」にある常夜灯だそうで。それにしても、谷汲山への道はいたるところから分岐しているよなぁ。。。
ただ、この場所から谷汲山へ行く道となると・・・・地図を見てもいまいち、というかほとんどルートがわからない。かつての名鉄谷汲線はちょっと離れているし。。。
中山道の大湫から東海道の池鯉鮒を結ぶ「三河街道」という道がある。というか、あるらしい。
「らしい」というのも、その存在はいろんな文献で紹介されているのだが、詳細なルートを紹介している媒体がまったく見つからないわけで。
わかっているのは大湫から池鯉鮒までどの町/村を通るかってことと、あとは、下街道と一部を共有していて、「名滝の追分」で下街道は東に向かって土岐川を渡るのに対し、三河街道はそのまま土岐川の西側を通るってことくらいだ。
で、ちょうど2年前に、名滝の追分から分岐した三河街道がどういうルートを通るか、地図上で想像してみた。おそらくは県道421とほぼほぼ同じで、旧道は途中でそれたりしているんじゃないかと思った。ルートを想像して、2020年6月21日、実際に歩いてみた。
瑞浪駅を出て土岐橋をわたり、 中島醸造 のあたりに来る。このへんは風情がある街並みだ。すぐ近くに小里川があって、川の向こう側では421が北上している。421は川の北岸で、川に遮られる形で折れ曲がっているのだが、南側に目を向けると、421が川をまっすぐわたってきたかのごとく延びている道がある。そしてそこには、このような道標がある。
なんて書いてあるか?よくわからないが、おそらくは「左 大湫 大井」「右 岩村 明智」ではないか??
さて、三河街道とは本当に謎の多い街道なわけだが、本日、ちょっとひさしぶりにぐぐってみたら、とんでもないものを見つけてしまった。どうも瑞浪市観光協会がわりと最近に作成したサイトのようで、市内の三河街道について書かれているではないか!
googleマップでも出てきた。「三河街道 道標」でマップ検索すると、上記サイトで紹介されている場所がヒットする。「瑞浪.com」の表記があるので、おそらくは瑞浪市観光協会が登録してくれたのだろう。実にすばらしい。
ただ、瑞浪.comのサイトではこの道標は「中切辻の三河街道道標」という名で紹介されているが、Googleマップでは「戸切辻の三河街道道標」で登録されている。うーん・・・どちらなんだ?
もう少しGoogleマップを見てみると、中街道と下街道の分岐地点が「中切追分の道標 」と登録されていて、この周辺には中切神社や中切公民館がある。瑞浪.comのサイトでも中切辻の道標のページがあって、こちらは.comもマップも一致してる。
というわけで、上の写真の道標は「戸切」だろうと思ったのだが、あらためてその周辺をGoogleマップで近くを見ると「中切地蔵菩薩」が登録されていて、これが瑞浪.comでは益見中切 辻の地蔵のページで紹介されている。
うーん、謎だ・・・
ちなみに釜戸には「下切」もあれば「上切」もある・・・。下街道を歩けば目にするアレです。
ちょっとよくわからなくなってきたので、今日は酒を飲んで寝ることにしよう。