下街道
今週末の土曜日は午前中に用事があるので、街道ウォークは午後から。半日のスケジュールになるので、それほど長い距離はあるけない。移動時間も含めると、せいぜい20キロまでだろう。
それで、いくつか頭に浮かんだ短めの街道からピックアップしたのが、多治見にある「高田街道」だった。
それで市史などを調べていると、、、どうも虎渓山永保寺のあたりを通るルートがより本物っぽいようだ。その道は何度か通ったことがあるので、地図など見なくても歩ける。
それでGPXファイルを明日にでも作ろうと思ったのだが、待てよ。虎渓山永保寺といえば、紅葉の名所。自分も十数年前に紅葉を見に行ったことがある。この時期に行けば、人がたくさんいるんじゃないか・・・。ということで、高田街道は冬に持ち越しと致す。
先日の速報で下街道脇道を歩いたは良いが途中で水が切れてリタイアした旨をメモしておいた。
その時の動画を3回に分割してうpする。
今回は第一弾。多治見橋から下石まで。
今、第二弾をうpしている最中であるw。
先週土曜日に下街道を多治見のながせ商店街から武並までを歩いた。
このとき、アクションカメラでタイムワープ撮影しながら歩いたので、いくつかに分けてyoutubeにうpしようかと思う。
第一弾は、多治見市のながせ商店街 ~ 土岐市の高山宿まで。
タイムワープ撮影したものをさらに数倍速になるよう編集しているので、そこそこの速度になっていると思うw。
川戸新道を歩いた その2 下街道から分かれ、川戸新道の開始地点までからの続き。
例によって、エントリー中の写真にカッコ書きで連番が振ってあるものは、下地図中のウェイポイントを撮影したものである。
前回は下街道から分岐して川戸新道に至る道、すなわち虎渓道の道標から土合の道標までのルートを掲載した。いよいよ当エントリーが川戸新道である。
ちなみに、土合の道標を南下する道が「生田新道」で、これは下街道に続いている。
土合の道標をそのまま道なりに東に進むと、すぐに、左手に祠と石が見えてくる。
どんどん、道を東に進む。歩道が無い道をときどき車が通りかかるので、お世辞にも歩きやすいとは言いづらい。が、マイナーな街道を歩いている感はあるw。
しばらくすると右に曲がる道があって、その前の建物の影に祠がある。
そこからすぐのところに、「欠築沢川橋りょう」がある。「欠築」には丁寧に「けっちく」というフリガナがカッコ書きで振ってあるが、僕の記憶ではこのあたりの地名は「欠簗」(かけやな)だったと思うのだが…。
左側にJRの線路と右側に森を見つつ、どんどん東に歩いていくと、土岐市に突入する。そのあたりから右側の視界が開け始め、美しい土岐川がはるか下方に見えてくる。しばらくは視線を右に向けながら歩くのが良い。
右の川の美しさを見つつも、道全体の観察を怠らず続けていたところ、左側の崖になんと石仏があるではないか!これは馬頭観音だろうか?
しばらく進んだところにも、石仏が!
この時点で自分は、この道を選んで正解だったと確信したのだった。
さらに、石仏が。ガケを囲むフェンスも仏様を囲むような罰当たりなことはしていない。
そして、こんなものを見つけた。判読はできそうなので、一眼レフで何枚か撮影しておいた。
ちなみに上記の石碑であるが、多治見市の「コース71 多治見駅から土岐市駅コース」だと「川戸街道士記」、土岐市の「広報とき」には「川戸新道之記」とある。僕には「川戸新道士記」と読めるので、そう記載した。
石碑を超えてどんどん坂を下ると、やがて平坦になってきて、市街地のような景色が現れてくる。
国道19号をくぐって少しのところに、左にそれる道がある。これがおそらく旧道だと思うのだが、そう思う根拠がこの常夜灯の存在である。
常夜灯の脚には道案内が書かれている。「左 名古屋」は判読できる。が右は何だ?「右 岡○」の○は崎のつくり部分のように見えるが…。確かに、ここを南に南に進めば、やがて岡崎にたどり着く。
そして国道19号を超えて駐車場のような場の道を歩いていると、左側に、道標を兼ねた常夜灯、津島神社碑、二十二夜の石碑、道標の4つが待ち構えている。これらはとても立派だ。自分はいろいろな街道を歩いてきたが、これほど目立つ遺構はそうそうあるものではない。
このうち、小さな道標のアップ写真だけ、下記に掲載する。(他は撮影をミスってたので・・・。)
ここが明治街道(下街道の山野内~中山道の今渡二軒家)なので、ここがゴール地点と考えられる。
以上が川戸新道の想定コースである。
川戸新道を歩いた その1からの続きです。
前回は自作ルートの全体図を記載した。そこでも書いたとおり、このルートはあくまでも断片的な情報を元に作ったものなので、正確ではないかもしれない。
当エントリーで記載する区間は、下街道の虎渓道道標から土合の道標まで。つまり、下街道から分かれて川戸新道に至る道と考えられる区間で、下図の青線の道である。
また、丸括弧で連番が振ってある写真は、下図の赤いウェイポイント部分を撮影したものである。(1)は一番最初のウェイポイント、(2)はその次、といった具合だ。
下街道の多治見橋からやや西南(名古屋方面)に行ったところに、五叉路がある。これを南西に向かう「ながせ商店街」が下街道で、北西に向かうのが今渡街道だ。そして北に向かう道には立派な「虎渓道」の道標があり、ここから虎渓山、高田、そして川戸新道に向かうことができる。
この道を歩くとすぐにJRの線路にぶつかるのだが、線路のすぐ近くに、馬頭観音がある。
馬頭観音のすぐ右に踏切があるので、これを渡る。
踏切を渡ると、ころうどんの名店「信濃屋」があるので、これを右に見つつまっすぐ歩くと、正面に常夜灯と祠が見えてくる。
常夜灯を左に見つつ北上する。国道19号を渡ってしばらくすると、Y字路にぶつかる。
これを右折すると虎渓山永保寺に至る道なのだが、そちらには行かず左折して永保寺の西を通る。
青線の道からはやや外れるが、永保寺の北東あたりにこのような道標のような石があった。表面は分厚いコケで覆われていて、何がなんだかさっぱりわからない。コケがかろうじて生えていない側面に文字が見えるが、残念ながら1字2字しかわからない。多治見市史で紹介されている道標なのだろうか・・・?
JRの線路に沿って東に進むと、左右が木で囲まれた道に入る。傾斜が下りになり、進んでいくと、視界が開けてきて、右側に土岐川が、左側にJRの高架が見えてくる。
そのまま進んで土岐川に注ぎ込む支流の橋を渡ったところに、道標がある。
文字がしっかり判読できるこの道標には、西面に「右 善光寺道」、東面に「 右 たか田 道」「左 こけい 道」と書かれているこの道標は、多治見市のウォーキングコース「コース61虎渓山と山吹町コース」にも記載されている。
ここから土岐の久尻に至る道が、川戸新道である。
(その3につづく)
私が人生で初めて徒歩でスタートからゴールまで歩いた旧街道が「下街道」だが、その下街道のバイパスが川戸新道である。
下図は、あくまでも断片的な情報をもとに独断で自作したルートである。したがって、正確ではないかもしれないことをあらかじめ記載しておく。
西側の始点(終点)は下街道と今渡街道の合流地点で「虎渓道」の道標がある交差点土合にある川戸街道の道標、そして東側の終点(始点)は明治街道との接続点と思われる地点とした。下図で言うと青色の線である。
ちなみに黒い先は下街道から土合に至る道だ。
(その2に続く)
2020/08/13、西側の地点を修正した。
下街道「長瀬・欠簗を通る新道」と「川戸街道」 その3 土合の道標~日之出町の常夜灯からの続き。
前回は日之出町の常夜灯までを歩いた。
先程まで「その4」を写真付きで書いていたのだが、どうもその道が間違っているんじゃないかと思ってきた。
よって、このシリーズはいったんここで完結する。その1で掲載した地図も、間違っているんじゃないかと思う。
追記。その1~その3を削除した。近日、「川戸新道」だけを取り上げた記事をうpすることとする。
多治見駅南側の下街道は「ながせ商店街」という商店街になっていて、そこに鳥竹食堂という店がある。
2020年6月27日(土)。この店に久しぶりに入り、やはり久しぶりに「天ぷら中華」を頂いた。中華そばに天ぷらが乗るのは岐阜県独特の組み合わせで、くどいラーメンに飽きたときにいただくと、妙にホッとする。
店内には昔の商店街の地図が貼ってあって、道筋があまり変わっていないことがよく分かる。