調査

川戸新道を歩いた その2 下街道から分かれ、川戸新道の開始地点までからの続き。

例によって、エントリー中の写真にカッコ書きで連番が振ってあるものは、下地図中のウェイポイントを撮影したものである。

Screenshot_2020-08-20 Leaflet Script generated by Wadachi
当エントリーで紹介するルートは青線の部分。

前回は下街道から分岐して川戸新道に至る道、すなわち虎渓道の道標から土合の道標までのルートを掲載した。いよいよ当エントリーが川戸新道である。

ちなみに、土合の道標を南下する道が「生田新道」で、これは下街道に続いている。

土合の道標をそのまま道なりに東に進むと、すぐに、左手に祠と石が見えてくる。

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(8)土合橋ちかくにある祠と石。

どんどん、道を東に進む。歩道が無い道をときどき車が通りかかるので、お世辞にも歩きやすいとは言いづらい。が、マイナーな街道を歩いている感はあるw。

しばらくすると右に曲がる道があって、その前の建物の影に祠がある。

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(9)建物の後ろにある祠。

そこからすぐのところに、「欠築沢川橋りょう」がある。「欠築」には丁寧に「けっちく」というフリガナがカッコ書きで振ってあるが、僕の記憶ではこのあたりの地名は「欠簗」(かけやな)だったと思うのだが…。

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(10)「欠築沢川橋りょう」。

左側にJRの線路と右側に森を見つつ、どんどん東に歩いていくと、土岐市に突入する。そのあたりから右側の視界が開け始め、美しい土岐川がはるか下方に見えてくる。しばらくは視線を右に向けながら歩くのが良い。

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右の川の美しさを見つつも、道全体の観察を怠らず続けていたところ、左側の崖になんと石仏があるではないか!これは馬頭観音だろうか?

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(11)石仏

しばらく進んだところにも、石仏が!

この時点で自分は、この道を選んで正解だったと確信したのだった。

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(12)石仏

さらに、石仏が。ガケを囲むフェンスも仏様を囲むような罰当たりなことはしていない。

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(13)フェンスから覗く石仏

そして、こんなものを見つけた。判読はできそうなので、一眼レフで何枚か撮影しておいた。

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(14)川戸新道士記

ちなみに上記の石碑であるが、多治見市の「コース71 多治見駅から土岐市駅コース」だと「川戸街道士記」、土岐市の「広報とき」には「川戸新道之記」とある。僕には「川戸新道士記」と読めるので、そう記載した。

石碑を超えてどんどん坂を下ると、やがて平坦になってきて、市街地のような景色が現れてくる。

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国道19号をくぐって少しのところに、左にそれる道がある。これがおそらく旧道だと思うのだが、そう思う根拠がこの常夜灯の存在である。

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(15)日之出町の常夜灯

常夜灯の脚には道案内が書かれている。「左 名古屋」は判読できる。が右は何だ?「右 岡○」の○は崎のつくり部分のように見えるが…。確かに、ここを南に南に進めば、やがて岡崎にたどり着く。

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(15)日之出町の常夜灯の脚。「右 名古屋」は判読できるが…

そして国道19号を超えて駐車場のような場の道を歩いていると、左側に、道標を兼ねた常夜灯、津島神社碑、二十二夜の石碑、道標の4つが待ち構えている。これらはとても立派だ。自分はいろいろな街道を歩いてきたが、これほど目立つ遺構はそうそうあるものではない。

このうち、小さな道標のアップ写真だけ、下記に掲載する。(他は撮影をミスってたので・・・。)

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(16)「右 久々里 道」「左 こけい山 道」

ここが明治街道(下街道の山野内~中山道の今渡二軒家)なので、ここがゴール地点と考えられる。

以上が川戸新道の想定コースである。



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川戸新道を歩いた その1からの続きです。

前回は自作ルートの全体図を記載した。そこでも書いたとおり、このルートはあくまでも断片的な情報を元に作ったものなので、正確ではないかもしれない。

当エントリーで記載する区間は、下街道の虎渓道道標から土合の道標まで。つまり、下街道から分かれて川戸新道に至る道と考えられる区間で、下図の青線の道である。

また、丸括弧で連番が振ってある写真は、下図の赤いウェイポイント部分を撮影したものである。(1)は一番最初のウェイポイント、(2)はその次、といった具合だ。

Screenshot_2020-07-21_2 Leaflet Script generated by Wadachi

下街道の多治見橋からやや西南(名古屋方面)に行ったところに、五叉路がある。これを南西に向かう「ながせ商店街」が下街道で、北西に向かうのが今渡街道だ。そして北に向かう道には立派な「虎渓道」の道標があり、ここから虎渓山、高田、そして川戸新道に向かうことができる。

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(1)虎渓道の道標。

この道を歩くとすぐにJRの線路にぶつかるのだが、線路のすぐ近くに、馬頭観音がある。

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(2)JR中央線線路近くの馬頭観音。

馬頭観音のすぐ右に踏切があるので、これを渡る。

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(3)第7明治街道踏切。

踏切を渡ると、ころうどんの名店「信濃屋」があるので、これを右に見つつまっすぐ歩くと、正面に常夜灯と祠が見えてくる。

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(4)Y字路の常夜灯と祠。
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(4)常夜灯をアップに。

常夜灯を左に見つつ北上する。国道19号を渡ってしばらくすると、Y字路にぶつかる。

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(5)Y字分岐点。

これを右折すると虎渓山永保寺に至る道なのだが、そちらには行かず左折して永保寺の西を通る。

青線の道からはやや外れるが、永保寺の北東あたりにこのような道標のような石があった。表面は分厚いコケで覆われていて、何がなんだかさっぱりわからない。コケがかろうじて生えていない側面に文字が見えるが、残念ながら1字2字しかわからない。多治見市史で紹介されている道標なのだろうか・・・?

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(6)石造物の正面。
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(6)石造物の側面。
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(6)石造物を遠くから見たところ。

JRの線路に沿って東に進むと、左右が木で囲まれた道に入る。傾斜が下りになり、進んでいくと、視界が開けてきて、右側に土岐川が、左側にJRの高架が見えてくる。

そのまま進んで土岐川に注ぎ込む支流の橋を渡ったところに、道標がある。

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(7)道標の西面。「右 善光寺道」
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(7)道標の東面。「 右 たか田 道」「左 こけい 道」
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(7)道標の南面には何も書かれていないようだ。
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(7)道標の北面にも同じく何も書かれていないようだ。

文字がしっかり判読できるこの道標には、西面に「右 善光寺道」、東面に「 右 たか田 道」「左 こけい 道」と書かれているこの道標は、多治見市のウォーキングコース「コース61虎渓山と山吹町コース」にも記載されている。

ここから土岐の久尻に至る道が、川戸新道である。

(その3につづく)



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川戸新道を歩いた その1

20:51:16
カテゴリ:調査 | 下街道

私が人生で初めて徒歩でスタートからゴールまで歩いた旧街道が「下街道」だが、その下街道のバイパスが川戸新道である。

下図は、あくまでも断片的な情報をもとに独断で自作したルートである。したがって、正確ではないかもしれないことをあらかじめ記載しておく。

西側の始点(終点)は下街道と今渡街道の合流地点で「虎渓道」の道標がある交差点土合にある川戸街道の道標、そして東側の終点(始点)は明治街道との接続点と思われる地点とした。下図で言うと青色の線である。

Screenshot_2020-08-13 Leaflet Script generated by Wadachi

ちなみに黒い先は下街道から土合に至る道だ。

(その2に続く)

2020/08/13、西側の地点を修正した。



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中津川市立図書館

23:05:29
カテゴリ:調査 

昨日のことではあるが、中津川市の中山道歴史資料館と、中津川市立図書館に行ってきた。

明治街道について収穫があった。



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下街道「長瀬・欠簗を通る新道」と「川戸街道」 その3 土合の道標~日之出町の常夜灯からの続き。

前回は日之出町の常夜灯までを歩いた。

先程まで「その4」を写真付きで書いていたのだが、どうもその道が間違っているんじゃないかと思ってきた。

よって、このシリーズはいったんここで完結する。その1で掲載した地図も、間違っているんじゃないかと思う。

追記。その1~その3を削除した。近日、「川戸新道」だけを取り上げた記事をうpすることとする。



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図書館が段階的に利用可能に

21:27:15
カテゴリ:図書館 

本日、東濃地方の某図書館に行ってきた。

新型コロナの影響で利用制限がかかっていた各地の図書館が、徐々に制限を緩めてきている。ようやく街道の調べ物もできるようになってきたわけだ。



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下街道の脇道のGPSトラックを作成した

22:16:09
カテゴリ:調査 | 下街道

1月に図書館で調べた情報、先週末に現地を見て得たもの、Googleストリートビュー、そして古地図を見て、下街道の脇道にあたる道のGPSトラックを作成した。

ルート情報だとちょっといろいろと不都合があるので、トラックファイルにした。

土曜日は晴れるようなので、このトラックをeTrex30xに入れ、実際に現地を歩いてみるつもりである。まあ、この道の半分以上は先週、すでに歩いているんだけどね。なので、次回はフルに、かつ正確に歩きたい。



e1sa1 at 22:16|PermalinkComments(0)

多治見、土岐、瑞浪の調査

21:03:29
カテゴリ:調査 

昨日と今日、岐阜県内の旧い道を歩いてきた。

冬にいろいろと図書館を回って調べたときにメモを取ったノートが手元にあって、そのノートに書いた道を実際に歩こうと思っていたのだが、冬の半ば頃から新コロのおかげで自粛生活に突入していたので、数ヶ月ぶりの活動再開ということになる。

この2日間の成果はかなりのものがあるので、後日、ちゃんとまとめてこのブログに書きたいと思う。



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土岐から久々利、可児方面に行くあの道の名は

21:51:50
カテゴリ:日常 | 調査

以前から気になっていた道がある。その道は土岐市駅のあたりから久々利を通り可児市のあたりに抜ける道で、現在の岐阜県道84号線にほぼ相当する。僕はこの道は過去にそれなりに使われていたんじゃないかと思っていて、昨年の夏、実際に歩いてみた。

そして今日、ネットでいろいろ調べていたらついにその道の名がわかった。「五斗蒔街道」という名で紹介するWebの記事を、何十件か見かけたのだ。昔の書籍でも紹介されているようなので、これはそういう名前であると思って良いんじゃないだろうか。

昨夏に実際に歩いてみたところ、久々利の町中で県道84号線から逸れて旧道に入るような雰囲気だったので、そちらを歩いてみたのだが、なかなか雰囲気があり、多治見への方向を示す道標もあった。(この道標のある場所が「久々利街道」との交差点なんじゃないかと個人的に思っている)。

ちなみに、久々利にある可児郷土歴史館には、多治見街道にあった馬をつなぐ石というものが置いてあった。ここは、必見です。もう一度行って、今度は時間を気にせずじっくり見たい。

現在の県道84号線は可児駅の西で国道248号線と重複して北上し、中山道の「今渡の渡し」ちかくで西に折れ、土田の下切のあたりにある国道41号線との合流地点で終わる。ということは、県道84号線は下街道の土岐高山と中山道の今渡・太田を繋ぐ道になる。多治見から今渡に伸びる「今渡街道」に似ている。

ちょっと近いうちにもう一度、今度は逆方向から歩いてみたいところなのだが・・・・ちょっとコロナ関係で休日は外出を避けているもんで・・・。



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draw.ioが街道概略図を書くのに便利!

23:42:26
カテゴリ:技術 | 調査

昨日のエントリー:街道図を描くのに便利なツールを見つけたで書いたdraw.ioを、今日も2時間ほど使ってみたのだが、とても便利だ。

昨日のエントリーでは、丸を2つ描いてその間に線を引く作業をどんどんつなげていくような手順を描いたが、実際にやってみたところ、最初は広域で描いていき、どんどん詳細に落とし込んでいくほうが、現実の縮尺や道の形状をきれいに再現できることがわかった。

具体的には、まずはキャンバス全体に広がる道路を描くわけだが、その際に主要なハブとなる宿場や追分と、そこから伸びる主要道のみを描いておく。そうやって全体の骨組みを確定したあとに、主要ポイントの間にある宿場や、小さな脇街道を描いていく。この手順だと、先に全体のバランスが確定するので、作っていくうちに形が歪になっていったり場所によって縮尺が違ってくるような心配がない。むしろ、道の形状などはどんどん正確になっていく。

惜しむらくは、自分は絵が下手くそだということだ。絵が上手ければ・・・ちょっとした大作ができそうなんだがなぁ・・・。



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