川戸新道を歩いた その2 下街道から分かれ、川戸新道の開始地点までからの続き。
例によって、エントリー中の写真にカッコ書きで連番が振ってあるものは、下地図中のウェイポイントを撮影したものである。
前回は下街道から分岐して川戸新道に至る道、すなわち虎渓道の道標から土合の道標までのルートを掲載した。いよいよ当エントリーが川戸新道である。
ちなみに、土合の道標を南下する道が「生田新道」で、これは下街道に続いている。
土合の道標をそのまま道なりに東に進むと、すぐに、左手に祠と石が見えてくる。
どんどん、道を東に進む。歩道が無い道をときどき車が通りかかるので、お世辞にも歩きやすいとは言いづらい。が、マイナーな街道を歩いている感はあるw。
しばらくすると右に曲がる道があって、その前の建物の影に祠がある。
そこからすぐのところに、「欠築沢川橋りょう」がある。「欠築」には丁寧に「けっちく」というフリガナがカッコ書きで振ってあるが、僕の記憶ではこのあたりの地名は「欠簗」(かけやな)だったと思うのだが…。
左側にJRの線路と右側に森を見つつ、どんどん東に歩いていくと、土岐市に突入する。そのあたりから右側の視界が開け始め、美しい土岐川がはるか下方に見えてくる。しばらくは視線を右に向けながら歩くのが良い。
右の川の美しさを見つつも、道全体の観察を怠らず続けていたところ、左側の崖になんと石仏があるではないか!これは馬頭観音だろうか?
しばらく進んだところにも、石仏が!
この時点で自分は、この道を選んで正解だったと確信したのだった。
さらに、石仏が。ガケを囲むフェンスも仏様を囲むような罰当たりなことはしていない。
そして、こんなものを見つけた。判読はできそうなので、一眼レフで何枚か撮影しておいた。
ちなみに上記の石碑であるが、多治見市の「コース71 多治見駅から土岐市駅コース」だと「川戸街道士記」、土岐市の「広報とき」には「川戸新道之記」とある。僕には「川戸新道士記」と読めるので、そう記載した。
石碑を超えてどんどん坂を下ると、やがて平坦になってきて、市街地のような景色が現れてくる。
国道19号をくぐって少しのところに、左にそれる道がある。これがおそらく旧道だと思うのだが、そう思う根拠がこの常夜灯の存在である。
常夜灯の脚には道案内が書かれている。「左 名古屋」は判読できる。が右は何だ?「右 岡○」の○は崎のつくり部分のように見えるが…。確かに、ここを南に南に進めば、やがて岡崎にたどり着く。
そして国道19号を超えて駐車場のような場の道を歩いていると、左側に、道標を兼ねた常夜灯、津島神社碑、二十二夜の石碑、道標の4つが待ち構えている。これらはとても立派だ。自分はいろいろな街道を歩いてきたが、これほど目立つ遺構はそうそうあるものではない。
このうち、小さな道標のアップ写真だけ、下記に掲載する。(他は撮影をミスってたので・・・。)
ここが明治街道(下街道の山野内~中山道の今渡二軒家)なので、ここがゴール地点と考えられる。
以上が川戸新道の想定コースである。