2021年10月
今週末は美濃路を歩く。
毎年、秋には美濃路を歩いているのだが、昨年はいろいろあって断念したので、2年ぶりになる。
今回は正確なルートを踏破すべく、ある地図を参考に、GPSデータを作成した。その地図がコレ。
これは起宿にある一宮尾西歴史民俗資料館で購入した『歴史街道 美濃路を歩く』である。
このマップは現地ウォーキングで使用することを想定しているんだろう。そう簡単には破れない頑丈な紙で出来ており、蛇腹折りに畳んである。広げると全体図が出てくるのだが、拡大図もあるのでまあ迷うことはないだろう。
自分の場合は視点から終点までのすべてルートが頭に入っているので、マップ無しで名古屋から垂井まで歩けるのだが、ルートの一部で古道の消失部分はいつも適当な感じで歩いているので、今回はより正確に歩けるよう、適当ルートを確定するようなGPSデータを作成したわけだ。
それと今回は、毎年の美濃路ウォークとは違い、2日に分けて歩くことにする。
というのも、いつもは名古屋から垂井まで1日で歩いていたのだが、垂井につく頃には19時前後になる距離で、秋のその時間帯はもう暗くなっている。そうなると、けっこう道中の重要なものを見落としたりするし、写真や動画の撮影ができなくなってしまう。
なので今年は2日に分けて歩く。初日は名古屋から大垣までの約52キロ、次の日は大垣から垂井までの約10キロという具合だ。大垣には夕方の早い時間帯に着くはずである。
土曜日は久しぶりに上街道を歩いた。本当に久しぶりで、HDDに保存されている写真を見返したところ、最後に歩いたのは2019年の6月だった。
今回は各所にある石仏道標を写真に収めておいた。っつーかこんなにたくさんあったっけ?ってな具合で、記憶というのは曖昧なもんだ。撮影した写真は、今後このブログに掲載したり、ようつべで公開する動画に埋め込むことにする。
途中、ロープが張ってあって前進できない道があった。ありゃ一体何なんだ? 仕方ないから代替ルートで移動したのだが、釈然としない。
それはさておき、中山道の合流地点に到着した後、まだ明るい時間帯を狙って、かなり早い夜メシで某店に行った。
自分はコロナが流行しだしてから外食はものすごく気を使っていて、昼と夜の間の人が居ない時間帯を狙うようにしている。この日もまだ明るいうちに店に入ったおかげで人は客は少なく、居てもも別のエリアに何組かいるくらいだった。
たくさん歩いてたくさん飲んでたくさん食った一日だったw。
今、出版地点まで移動中。
朝起きた時点で、今日1日何もしたくない気分だったが、窓の外に広がる雲ひとつない青空を見たら、こんな日に街道歩きをしないなんてもったいないと思い、決行に至った。
火曜日のエントリー:下街道脇道の続きにも書いたとおり、僕は陶器が好きで、特に陶磁器の一大産地である東濃地方で春と秋に開催される陶器市には必ず行っている。
で、明日と明後日は、下街道脇道ルート上にある「駄知」で、駄知どんぶりまつりが開催される。クソコロナが出て以来、各地の陶器市が中止される中、貴重な祭りである。昨年の開催は本当に嬉しかった。
ただなぁ・・・。なんかもう、わざわざこの時期に行かなくてもいいじゃんという思いが湧き出てくる。もっと人が居ない時期にのんびり陶器を買うほうが良いのでは、と。
昨日までは行く気満々で土曜日が待ち遠しかったけど、今日の昼に気が変わってしまった。というわけで、明日は街道歩きに行きます。
天井のエアコンからは狂ったような強風が降りてくる。暑いし、目が乾いて痛い。
本当に毎年毎年ええ加減にせえや!
本日、下街道脇道について調べていたのだけど、この道は瑞浪で下街道から分岐するという情報がある。
そのルートというのは、日曜日に自分が瑞浪駅から歩いた道とほぼほぼイコールだった。
この道も古くからありそうと思いつつ、遺構など無いか見逃さないように歩いたが、特に何もなかった。
そして日曜日は、以前踏破を断念した「下街道脇道」の断念箇所からの再開を行った。
が、GPSに入れていくルートを間違えて古いものを入れてしまったため、ちょっと思っていたのとは違う道を歩いてしまった・・・。
よく見ると街道歩行帳チャンネルに下街道脇道の動画を上げているが、ちょうど1年前なんだなぁ。
下街道脇道って、東濃地方の陶磁器の産地をつなげているような道だ。自分は陶器コレクトの趣味もあって今週末は駄知に行くのだが、下街道脇道は駄知も通っている。
西は瀬戸からつながる道もあったようで、こちらはタイル産地として有名な笠原を通る。
僕が1年前に歩いたのは多治見で下街道から分岐する道で、前述の瀬戸からの別ルートとは下石で合流する。下石も窯元がたくさんある街だ。