2021年08月
2019年8月24日。新型糞コロナがなかった時代。今渡街道を今渡から多治見に歩こうと思い、昼メシを太田宿にて摂った。その後、今渡の渡しまで歩く途中、中山道と飛騨街道との分岐点にある立派な道標を撮影した。
この道標も伊藤萬蔵が造ったものなのか・・・。同じ太田宿の西の方にある、関・上有知方面への同表も伊藤萬蔵のものだったなぁ。
この後、今渡街道を急いで多治見まで行った。夕方にお楽しみの予定があったので…。
古いHDDの画像を久しぶりに引っ張り出してきたことを先日のエントリで書いたが、懐かしいものがたくさん出てくる。
その中から、2013年9月8日。滋賀県大津市の石山駅ちかくにある、ラーメンかなだ屋さんにて。
この店にはテレビがあって、そのテレビでは、2020年のオリンピックの開催地が東京に決まったニュースが流れていた。あれからもう、8年になろうとしているのか・・・。
した。
2010年~2011年が、自分にとって最も活動が活発だった時期で、当時の写真を何年ぶりかに見返しても、すぐに思い出せる。
昨日2021年8月21日(土)の朝、僕が自分で撮影した写真やら動画やら、はてはネットでダウンロードしたあんな画像やこんな画像までを保存しているHDDの応答が、悪くなった。windowsエクスプローラでファイルにアクセスしても、固まってしまうのである。ああ、I/Oでブロッキングしてんだなぁ、と・・・。
すんげえ嫌な予感・・・。自分で撮影した最近の街道画像、街道動画がすべてパーになってしまうかも・・・。
ちなみに、問題のHDDは別にいくつかバックアップ用のHDDがあって、そこには数年来のファイルを保存しているのだが、ここ1年ほどのファイルはバックアップしてないしw。しかも問題のHDDは容量が6テラバイトあるやつで、ファイルの数もサイズも大きい。これは死んだら大変だ。容量の大きさと失ったときのダメージの大きさは比例する。
ただ、このHDDの不具合じゃない可能性もある。ここ最近、筐体背面のUSBポートの調子が悪くて、デバイスを認識できない不具合があったりした。これが原因であれば、まだ、不幸中の幸いである。そりゃ、いくつかあるUSB3.0のポートのうち1つがあぼーんする事と、ここ1年間の動画・画像が消える事とを比べたら、前者のほうがダメージは遥かに軽いだろうから。
まあ、こういう時は最悪の状況を想定して対処しなければならない。っつーか僕はネガティブ思考というか、慎重なほうなので、こういう状況じゃなくても、いつも最悪を想定して行動している。というわけで、問題のHDDは電源を即OFFした。
ちなみに、一度、HDDのトラブルと思しき現象から逃げ切った経験がある。「新しいPCを購入した」がそれだ。
まあそれはさておき、新しいHDDを支給調達しなきゃと思って、急いで身支度を整えて、外出した。
他の所用を果たしつつも、某店で、4TBのHDDを購入した。オマケで、240GBのSSDやら、キーボード用のリストレストやら、ちょっと高級なマウスパッドやら、いろいろと購入した。新コロが流行してから一度もキャバクラに行っていないんだから、たまには贅沢してもええやろ、という具合で。
自宅に帰って、新しいHDDをUSBハブにつないだのだが・・・認識しねえw。SSDも認識しねえw。
USBハブが悪いんだなぁと思って、別のポートに新HDDを直につないだら認識した。SSDも。たまにこういうことがあるんだよなぁ・・・。
だけど、問題のHDDがおかしかったのはUSBハブが原因では無い。そのHDDはハブを介さずにUSBポートに直につないでたし・・・。
ただ、問題のポートにつないでは居た。
とりあえず問題のHDDと新HDDを、前面の問題ない2つのポートにそれぞれつないで、コピー作業を実行し、無事、消えたら泣きそうになるファイルはバックアップを取ることに成功した。
で、今朝、USBハブを問題のない前面ポートに指し、ハブにHDD2台とSSDを指して、問題なく認識した。
うーん。。。背面ポートの問題だったのか???
ただ、そのポートは別のデバイスだと認識するんだよなぁ・・・。
よくわからんのだが、そのポートはもう使わないことにしようと思う。
先日、googleストリートマップを見ていたら、瀬戸市の某所で道標を見つけた。
気になったので今日、行ってきた。数日前の天気予報だと今日は1日中雨の予報だったが、朝から曇りだったので。
後日、写真をうpする。
昨日の水曜日は開かれなかったのかな。厚労省のwebではアップされてないし。
こんなことをやってたらさらに信頼を失うだけなのになぁ。
自分は毎年夏になると、かつてTBS系列でテレビ放送されていたドラマ『キッズ・ウォー3 〜ざけんなよ〜』と、その主題歌でZONEが歌う『secret base 〜君がくれたもの〜』を思い出す。
テレビが大嫌いでかれこれ20年ほどテレビを所持しない・見ない生活を続けている自分だが、当時はまだテレビなるものを所有していて、時間もあった私はそのドラマを見ていたのだった。
ちなみにだが僕は第3シーズンしか見ていない。第3でこのドラマを知ったから。んで次の年の第4からはテレビから遠ざかったので、第4からも見ていない。なので僕の記憶の中での茜や翼は2001年の第3シーズンのときで止まっている。
さて。ここ数年は毎年夏になるとsecret baseのPVをyoutubeなどで見ているのだが、ふと、気づいた。キッズ・ウォー3が放送されていたのは2001年。つまり今年で20年なわけだ。
secret baseの歌詞の中には象徴的な一節がある。「10年後の8月、また出会えるのを信じて」。
ありがたいことにZONEは10年後の2011年に再集合してくれたらしく、その様子がこれもまたありがたいことにつべに上がっている。
美少女たちがきれいなお姉さんたちになっている。
その後、つべを見ていたら、面白いものを見つけて、これはまあ以下略。
懐かしいなぁと思っていたら、ふと、押し入れの中にキッズ・ウォーの本があることを思い出した。押入れの中は、文字通りモノを押し入れまくってグダグダになっているのに、その本はなぜかとても見つけやすい場所にあった。買った当時から今まで一度も読まずにただ保管してあったものなのに。まるで20年目に出てくるかを待っていたかのようだった。
本の巻末を見て発行年を確認した。どうやら2002年の第4シーズンの放送開始直前に発行されたらしい。
本では「今井家」のご近所マップなどがある。そういえばこのドラマは名古屋のテレビ局が作ったものなので、名古屋市内の知っている場所が時々映る。茜が歩いていた河川敷など、当時チャリンコで行ってみたもんだw。
っと、これを書いている今、早朝にチャリンコで名東区のあたりを走ったことを思い出してしまった・・・。当時は辛い思いをいろいろと溜め込んで精神的に病んでいて、ほとんど抜け出すことが不可能な底なし沼に自分は落ちていた。この3年後に僕は、古本屋で買ったとある本がきっかけで、沼から自力で這い出るのだが、今思えばその古本屋はこのドラマを制作したテレビ局の近くにあった店だったw。僕にとってのsecret baseはあの古本屋かw。
っつーか、自分はガキの頃は北陸の田舎に住んでいたので、本当に秘密基地を持っていた。いや持っていたというのは正確ではなく、裏山にあった洞窟や丘の上の平場を勝手に秘密基地と呼んでいただけだ。決して自分の所有地ではないw。secret baseのPVを見ていると、そんなガキのころを思い出すし、同時に20年前のことも思い出す。
そして20年も前のことがつい最近のことのように思えて、年を取ったんだなぁとつくづく感じた。好き勝手に自由気ままに生きていて、まだまだ若いつもりだから、もう20年か・・・という感覚だ。
この先も好きなように生きるつもりだが、次の、30年後の8月は・・・・考えたくもねえやw。