2020年08月
先々週のお盆の時期になるが、大阪の梅田の「梅田墓」で人骨が1500体ほど発掘されたというニュースがあった。
梅田がかつての墓地であったことはなんとなく知っていたが、本件のニュースをいろいろ見ているうちに、江戸時代に「七墓巡り」なる行事があったことを伝える記事を見つけた。
5年前の記事ではあるが、産経でも「七墓巡り」についての記事を見つけた。
なんという・・・。江戸時代の浮世絵を見て往時の旧街道の情景を想像するのは、よくあることだが、まさか墓地巡りの浮世絵を見て想像するとは・・・。
しかもこの浮世絵に描かれている人たちは、それぞれが装備品を持参し、生き生きと楽しそうに歩いているではないか。
いつか街道歩きの延長で、七墓巡りをやってみようかなぁ・・・。
街道歩きに適したカバンとは、どういうものか。自分なりに考えてみた。
絶対に譲れない条件。それはハンズフリーであることだ。手にカバンを持った状態で40キロも50キロも歩くのは面倒だから。となると、背中に背負うタイプのもの、肩に斜め掛けするタイプのもの、腰に巻きつけるタイプのものが、挙げられるだろう。
この中で、持参するアイテムがすべて入る容量のものを選ぶことになる。
自分が街道歩きで持参するものを挙げていく。まず、季節や時間帯に関係なく持参するものは、サイフ、スマホ、GPS、定期券、ポータブルオーディオ、アクションカメラとオプション一式、歯ブラシと歯磨き粉、ティッシュ、ウエットティッシュ、S字フック、小さなタオル、日焼け止め、サングラスとケース、軽量折りたたみ傘、文房具、といった具合だ。行く先によっては、紙の資料も持っていく。
ここに夜の活動や宿泊を想定した場合、LEDフラッシュライト、着替えなどが加わる。
さらに季節を考慮する。夏の場合、上記のタオルとは別に速乾超軽量タオル、クールタオル、折りたたみ可能な帽子、そしてペットボトル飲料の調達が不可能な場所に行く場合はクリアボトルを持参する。
冬は、極寒の地に行く場合には、中間着、ネックゲイター、手袋を持参するわけで、歩いている途中に暑くなってこれらを脱ぐ場合、カバンに確実に収納できなくてはならない。
となるとそれなりの容量のものが必要になるので、腰に膜タイプのいわゆるウエストバッグは、自分は使ったことがない。自分が使うのは、多くはショルダーバッグやザックである。
ちなみに「カメラ」も必要不可欠なアイテムで、自分の場合はニコンのデジタル一眼レフカメラが街道歩きの友だが、これはカバンの中には入れない。肩に掛けて歩く。カメラをカバンの中に入れていては、撮影したいシーンに出会った時にいちいちカバンの中から出さなければならないが、カバンの外にあればすぐにでも撮影が可能だからだ。
また、連泊での街道歩きを想定した場合、期間も重要になる。自分の場合は職業がら、連泊でもせいぜい3~4日間だ。
以上のような荷物を想定した場合、使えるカバンの種類は絞られてくる。ショルダーは中~大型のもの、ザックは小~中型のものである。
あとは、ポケットの数、使いやすさ、メーカーの好き嫌いで選んでいくことになる。
川戸新道を歩いた その2 下街道から分かれ、川戸新道の開始地点までからの続き。
例によって、エントリー中の写真にカッコ書きで連番が振ってあるものは、下地図中のウェイポイントを撮影したものである。
前回は下街道から分岐して川戸新道に至る道、すなわち虎渓道の道標から土合の道標までのルートを掲載した。いよいよ当エントリーが川戸新道である。
ちなみに、土合の道標を南下する道が「生田新道」で、これは下街道に続いている。
土合の道標をそのまま道なりに東に進むと、すぐに、左手に祠と石が見えてくる。
どんどん、道を東に進む。歩道が無い道をときどき車が通りかかるので、お世辞にも歩きやすいとは言いづらい。が、マイナーな街道を歩いている感はあるw。
しばらくすると右に曲がる道があって、その前の建物の影に祠がある。
そこからすぐのところに、「欠築沢川橋りょう」がある。「欠築」には丁寧に「けっちく」というフリガナがカッコ書きで振ってあるが、僕の記憶ではこのあたりの地名は「欠簗」(かけやな)だったと思うのだが…。
左側にJRの線路と右側に森を見つつ、どんどん東に歩いていくと、土岐市に突入する。そのあたりから右側の視界が開け始め、美しい土岐川がはるか下方に見えてくる。しばらくは視線を右に向けながら歩くのが良い。
右の川の美しさを見つつも、道全体の観察を怠らず続けていたところ、左側の崖になんと石仏があるではないか!これは馬頭観音だろうか?
しばらく進んだところにも、石仏が!
この時点で自分は、この道を選んで正解だったと確信したのだった。
さらに、石仏が。ガケを囲むフェンスも仏様を囲むような罰当たりなことはしていない。
そして、こんなものを見つけた。判読はできそうなので、一眼レフで何枚か撮影しておいた。
ちなみに上記の石碑であるが、多治見市の「コース71 多治見駅から土岐市駅コース」だと「川戸街道士記」、土岐市の「広報とき」には「川戸新道之記」とある。僕には「川戸新道士記」と読めるので、そう記載した。
石碑を超えてどんどん坂を下ると、やがて平坦になってきて、市街地のような景色が現れてくる。
国道19号をくぐって少しのところに、左にそれる道がある。これがおそらく旧道だと思うのだが、そう思う根拠がこの常夜灯の存在である。
常夜灯の脚には道案内が書かれている。「左 名古屋」は判読できる。が右は何だ?「右 岡○」の○は崎のつくり部分のように見えるが…。確かに、ここを南に南に進めば、やがて岡崎にたどり着く。
そして国道19号を超えて駐車場のような場の道を歩いていると、左側に、道標を兼ねた常夜灯、津島神社碑、二十二夜の石碑、道標の4つが待ち構えている。これらはとても立派だ。自分はいろいろな街道を歩いてきたが、これほど目立つ遺構はそうそうあるものではない。
このうち、小さな道標のアップ写真だけ、下記に掲載する。(他は撮影をミスってたので・・・。)
ここが明治街道(下街道の山野内~中山道の今渡二軒家)なので、ここがゴール地点と考えられる。
以上が川戸新道の想定コースである。
川戸新道を歩いた その1からの続きです。
前回は自作ルートの全体図を記載した。そこでも書いたとおり、このルートはあくまでも断片的な情報を元に作ったものなので、正確ではないかもしれない。
当エントリーで記載する区間は、下街道の虎渓道道標から土合の道標まで。つまり、下街道から分かれて川戸新道に至る道と考えられる区間で、下図の青線の道である。
また、丸括弧で連番が振ってある写真は、下図の赤いウェイポイント部分を撮影したものである。(1)は一番最初のウェイポイント、(2)はその次、といった具合だ。
下街道の多治見橋からやや西南(名古屋方面)に行ったところに、五叉路がある。これを南西に向かう「ながせ商店街」が下街道で、北西に向かうのが今渡街道だ。そして北に向かう道には立派な「虎渓道」の道標があり、ここから虎渓山、高田、そして川戸新道に向かうことができる。
この道を歩くとすぐにJRの線路にぶつかるのだが、線路のすぐ近くに、馬頭観音がある。
馬頭観音のすぐ右に踏切があるので、これを渡る。
踏切を渡ると、ころうどんの名店「信濃屋」があるので、これを右に見つつまっすぐ歩くと、正面に常夜灯と祠が見えてくる。
常夜灯を左に見つつ北上する。国道19号を渡ってしばらくすると、Y字路にぶつかる。
これを右折すると虎渓山永保寺に至る道なのだが、そちらには行かず左折して永保寺の西を通る。
青線の道からはやや外れるが、永保寺の北東あたりにこのような道標のような石があった。表面は分厚いコケで覆われていて、何がなんだかさっぱりわからない。コケがかろうじて生えていない側面に文字が見えるが、残念ながら1字2字しかわからない。多治見市史で紹介されている道標なのだろうか・・・?
JRの線路に沿って東に進むと、左右が木で囲まれた道に入る。傾斜が下りになり、進んでいくと、視界が開けてきて、右側に土岐川が、左側にJRの高架が見えてくる。
そのまま進んで土岐川に注ぎ込む支流の橋を渡ったところに、道標がある。
文字がしっかり判読できるこの道標には、西面に「右 善光寺道」、東面に「 右 たか田 道」「左 こけい 道」と書かれているこの道標は、多治見市のウォーキングコース「コース61虎渓山と山吹町コース」にも記載されている。
ここから土岐の久尻に至る道が、川戸新道である。
(その3につづく)
昨日、GoPro Hero8を購入したと書いたが、これにあわせて、大容量バッテリーのAnker PowerCore 10000を購入した。
コレ以外にもいろいろ買ったので、続きは明日に書く。