2020年07月
私が人生で初めて徒歩でスタートからゴールまで歩いた旧街道が「下街道」だが、その下街道のバイパスが川戸新道である。
下図は、あくまでも断片的な情報をもとに独断で自作したルートである。したがって、正確ではないかもしれないことをあらかじめ記載しておく。
西側の始点(終点)は下街道と今渡街道の合流地点で「虎渓道」の道標がある交差点土合にある川戸街道の道標、そして東側の終点(始点)は明治街道との接続点と思われる地点とした。下図で言うと青色の線である。
ちなみに黒い先は下街道から土合に至る道だ。
(その2に続く)
2020/08/13、西側の地点を修正した。
旧モデルが安売りしていたので、購入した。
小さくて軽い。単3電池1本なので電池管理がラク。明るさはハイ、ロー、そして点滅モード。形状はロケットのよう。ストラップの長さが調節でき、いろんな場所に吊るせそうだ。
下街道「長瀬・欠簗を通る新道」と「川戸街道」 その3 土合の道標~日之出町の常夜灯からの続き。
前回は日之出町の常夜灯までを歩いた。
先程まで「その4」を写真付きで書いていたのだが、どうもその道が間違っているんじゃないかと思ってきた。
よって、このシリーズはいったんここで完結する。その1で掲載した地図も、間違っているんじゃないかと思う。
追記。その1~その3を削除した。近日、「川戸新道」だけを取り上げた記事をうpすることとする。
11日の出来事ではあるが、大湫神明神社のあの巨大な御神木が、倒れてしまった。
岐阜新聞:樹齢1000年超すご神木倒れる 瑞浪市、大雨の影響で
なんという悲しいニュース。新聞社が伝える地元の方々の声を見ていると、泣きそうになってしまった。
HDDの中に保存されている御神木の写真を、ここでうpしておく。
これは2018年1月27日の写真。当時は中山道の旅を三条大橋(京都)→日本橋(東京)に向かって進んでいて、大湫を通ったのは5日目のことだった。
そしてこれはさらに以前の2017年11月25日。
この灯籠も壊れてしまったかもしれない。
昨年のゴールデンウィークに、木曽谷から伊那谷まで権兵衛街道を歩いた。んで伊那市内で宿泊するために選んだホテルのプランで、信州の珍味を付けてくれるというお得なものがあった。
珍味は、これ。塚原のいなごの田舎炊である。ビンがやや汚れているが・・・
実は冷蔵庫に入れておいたのが、弾みで奥の方に行ってしまったようで、これの存在を忘れていたのだが、本日冷蔵庫の掃除をしていて気づいた。賞味期限が切れているが、まあ大丈夫だと思う。おととしに大平街道を歩いて飯田に行ったときも賞味期限切れのイナゴを食べて大丈夫だったし…。
本日、東濃地方の某図書館に行ってきた。
新型コロナの影響で利用制限がかかっていた各地の図書館が、徐々に制限を緩めてきている。ようやく街道の調べ物もできるようになってきたわけだ。